名古屋地方裁判所 昭和59年(ワ)3188号 判決 1988年7月15日
原告
大矢均
外五名
右訴訟代理人弁護士
杉浦豊
同
渥美玲子
同
鈴木泉
同
水野幹男
同
冨田武生
同
小島高志
同
竹内平
同
岩月浩二
同
渥美雅康
被告
ナトコペイント株式会社
右代表者代表取締役
粕谷菊次郎
右訴訟代理人弁護士
山田靖典
同
坂口良行
同
齋藤勉
同
加藤茂
主文
一 被告は原告らに対し、原告らが被告に対しそれぞれ別紙本件配置転換目録新職欄記載の配置転換先において勤務する義務のない労働契約上の地位を有することを確認する。
二 被告は、
(一) 原告大矢均に対し、
(1) 金二一二四万七八五六円及び別紙未払賃金一覧表(一)の各月欄記載の各金員につき同欄支給日の項記載の日の翌日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を、
(2) 昭和六二年一二月以降毎月二八日限り、一か月金三六万八五〇〇円の割合による金員及びこれに対する毎月二九日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を、
(3) 金一一一三万四六八七円及び別紙未払一時金一覧表(一)の各季欄記載の各金員につき同欄支給日の項記載の日の翌日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を、
(二) 原告渡辺真和に対し、
(1) 金一五八九万〇五〇六円及び別紙未払賃金一覧表(二)の各月欄記載の各金員につき同欄支給日の項記載の日の翌日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を、
(2) 昭和六二年一二月以降毎月二八日限り、一か月金二七万六二〇〇円の割合による金員及びこれに対する毎月二九日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を、
(3) 金七一八万九九一二円及び別紙未払一時金一覧表(二)の各季欄記載の各金員につき同欄支給日の項記載の日の翌日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を、
(三) 原告細江辰也に対し、
(1) 金一三四九万四〇二四円及び別紙未払賃金一覧表(三)の各月欄記載の各金員につき同欄支給日の項記載の日の翌日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を、
(2) 昭和六二年一二月以降毎月二八日限り、一か月金二三万三三〇〇円の割合による金員及びこれに対する毎月二九日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を、
(3) 金六〇七万二一七四円及び別紙未払一時金一覧表(三)の各季欄記載の各金員につき同欄支給日の項記載の日の翌日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を、
(四) 原告佐藤英機に対し、
(1) 金二〇七七万六三四二円及び別紙未払賃金一覧表(四)の各月欄記載の各金員につき同欄支給日の項記載の日の翌日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を、
(2) 昭和六二年一二月以降毎月二八日限り、一か月金三六万〇五〇〇円の割合による金員及びこれに対する毎月二九日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を、
(3) 金一一〇八万〇四三一円及び別紙未払一時金一覧表(四)の各季欄記載の各金員につき同欄支給日の項記載の日の翌日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を、
(五) 原告恒川周市に対し、
(1) 金一一七八万二六七八円及び別紙未払賃金一覧表(五)の各月欄記載の各金員につき同欄支給日の項記載の日の翌日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を、
(2) 昭和六二年一二月以降毎月二八日限り、一か月金二〇万四五〇〇円の割合による金員及びこれに対する毎月二九日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を、
(3) 金五四九万二二七五円及び別紙未払一時金一覧表(五)の各季欄記載の各金員につき同欄支給日の項記載の日の翌日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を、
(六) 原告加藤一美に対し、
(1) 金一二二五万三八六四円及び別紙未払賃金一覧表(六)の各月欄記載の各金員つき同欄支給日の項記載の日の翌日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を、
(2) 昭和六二年一二月以降毎月二八日限り、一か月金二一万一六〇〇円の割合による金員及びこれに対する毎月二九日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を、
(3) 金四九八万三六九九円及び別紙未払一時金一覧表(六)の各季欄記載の各金員につき同欄支給日の項記載の日の翌日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を、
それぞれ支払え。
三 訴訟費用は被告の負担とする。
四 この判決の第二項は仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求める裁判
一 請求の趣旨
主文と同旨
二 答弁
原告らの請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
(一) 原告大矢均、同渡辺真和、同細江辰也、同佐藤英機、同恒川周市及び同加藤一美(以下いずれも姓のみで表示し、原告六名全員を「原告大矢外五名」というが、ときに原告らとのみ略することもある。)はいずれも被告の従業員であり、後記配転命令が発せられた昭和五七年五月一日当時、別紙本件配置転換目録旧職欄記載の各職務に従事していたものである。
原告大矢外五名は総評全国一般愛知県中小企業労働組合連合会名古屋合同支部(以下「支部」という)ナトコ労働組合(以下「ナトコ労組」というが、ときに組合とのみ略することがある。)の組合員であり、原告渡辺は総評全国一般労働組合愛知地方本部(以下「地本」という)の執行委員兼支部執行委員、同恒川はナトコ労組の書記長、同佐藤及び加藤はナトコ労組の執行委員、同細江はナコト労組の教宣部副部長で教育担当として、いずれもナトコ労組の役員あるいは中心的活動家であったものである。
(二) 被告は、肩書地に本社及び名古屋営業所を置き、愛知県西加茂郡三好町大字打越字生賀山一八番地に本社事務・技術センター並びに三好工場を有するほか、左記のとおり営業所等を設け、車両用、金属用、木工建材用等の各種塗料の製造販売を業とする株式会社であり、右配転当時、資本金一億円、従業員一六〇名を擁していた。
なお、被告の関連会社として被告会社製品の卸売販売を主に業とするナトコ商事株式会社(以下「ナトコ商事」という)が名古屋市瑞穂区にあり、右配転当時、資本金は二〇〇〇万円、従業員数約一〇名であった。
記
営業所名 住所
東京営業所 東京都千代田区神田錦町二丁目七
静岡営業所 静岡市安西五丁目九―一
名古屋営業所 名古屋市瑞穂区二野町八番三号
新潟営業所 新潟市米山五丁目一番三一
大阪営業所 大阪市淀川区三津屋南三丁目一八―七
広島営業所 広島市西区中広町二丁目四番
高松営業所 高松市成合町八〇四―二
福岡営業所 福岡市中央区渡辺通二丁目一〇―五一
小山駐在員事務所 栃木県小山市城東三丁目一四番七号
2 本件配転命令並びに本件解雇の意思表示
被告は昭和五七年五月一日原告大矢外五名に対し、別紙本件配置転換目録記載の配置転換及び転属(以下「本件配転」という)を命じた。
被告は同月一一日、原告大矢外五名が右配転命令に従わないことを理由に同原告ら全員を解雇する旨の意思表示をなし、予備的に昭和五八年二月一日、前同様原告らを解雇する旨の意思表示をなしたとして、同原告らが被告の従業員の地位にない旨主張し、同原告らの就労を拒否している(以下、前者を「一次解雇」、後者を「二次解雇」、両者を「本件解雇」という)。
<省略>
三 被告の主張
1 被告は、昭和五七年五月一一日原告大矢外五名に対し一次解雇(諭旨解雇)の意思表示をし、ついで、同五八年二月一日にナトコ商事とともに二次解雇の意思表示をしたので、これにより原告大矢外五名との間の雇用関係は終了した。即ち、被告は被告の業務上の必要性に基づき、配転対象者の経歴、技能、家庭状況等を検討したうえ、所定の就業規則に則って本件配転を実施し、かつ原告大矢外五名らの属するナトコ労組及び本件配転対象者である右原告大矢外五名とも何回も協議をし、条理を尽くして説得したのであるが、同人らがこれに応じなかったため、やむをえず本件解雇に至ったものである。
2 仮に本件解雇が無効だとしても、原告佐藤は本件解雇の後である昭和五八年三月一七日飲食店の営業許可を受けて、翌日から「マイカップ」の屋号で喫茶店を開業し、以後同業に専念し、相当の収入も上げている一方、裁判所へも全く姿を見せず、被告に対しても具体的な就労請求をしていない。かかる状況に照らすと、同原告には同月一八日以降原職復帰の意思はなく、従って、地位の確認を求める利益も、賃金の支払いを求める権利もないものである。
また、仮に被告において同原告に対し賃金支払義務があるとしても、同原告が右喫茶店営業で得た利益は中間収入として同原告に対する未払賃金から控除すべきものである。
3 本件配転の必要性、合理性について
(一) 本件配転に至る経緯
(1) 人事異動に関する被告の基本方針
被告は、従来主として同部署間の人事異動であったのを、昭和四六年頃から他部署間との異動を活発に行うこととし、人事異動の範囲を全社的なものに改めることとした。この目的は、個々人に広い視野と見識を身につけさせ各人の能力を向上させると共に、適材適所に人員を配置し、各部署を経験することにより人材交流を図り、他の仕事内容、立場等を理解することにより社員間の意思疎通を良くすることにある。
被告は、この方針を会議等の席においてくりかえし社員に説明し、この基本方針は全従業員に十分理解されていた。以後被告は、概ね春と秋の年二回、定期的に人事異動を実施してきたのである。なお、ナトコ商事との間の人事交流も、ナトコ商事が被告の販売部門にすぎないことから、実質的には社内配転にすぎず、本件に至るまでの間にも両社間の人事異動は多数あったが、従業員から異議が出たことはなかった。
(2) 人事異動等に関する就業規則の規定
被告は人事異動等に関し、就業規則に次のとおり規定している。
第一一条
一 会社は業務の必要により従業員の人事異動(配置換えを含む)を行う。この場合、従業員は特別の事情がなければこれを拒むことはできない。
二 人事異動については本人の能力、適性、健康等を考慮して行なう。
(以下省略)
第八四条(懲戒解雇)
従業員が次の各号の一に該当するときは懲戒解雇に処する。
(中略)
(一七) 正当な理由なく、条理を尽くしても配置転換、職種の変更の命に従わないとき。
第八五条(諭旨解雇)
懲戒解雇に該当するが、特別の事由ある場合には本人の将来を考慮して特に諭旨解雇とすることがある。
(3) 昭和五六年春季の人事異動について
(イ) 被告は、業績の低迷傾向を打破すべく、幹部会等において将来の抜本策を検討した結果、販売商品別に専門的な技術、サービス、販売を実施しなければならないとの結論に達し、昭和五四年一一月に営業部の職制に販売一課と二課を加え、それぞれの課が車両塗料と土木建材用塗料の販売の責任を負うこととした。しかし、要員計画がままならず、新組織は十分機能しないままであった。そこで昭和五六年二月、販売一課、二課、三課に職制を変更し、それぞれが車両用塗料、金属用塗料、木工建材用塗料を受け持つことになった。
(ロ) 同季の人事異動の必要性とその目的
昭和五六年二月までの被告の累計売上高実績は、前年同期比九三パーセントと低調であった。同業他社専門メーカーの躍進ぶりを検討した結果、被告も商品別組織の充実の必要性が明らかとなり、同年三月一七日の幹部会において、同年春季人事異動の基本案を決め、異動予定対象者にその意向打診を始めた。
同季の人事異動の目的は「商品別組織を充実させ、それぞれが同業の専門メーカーに匹敵する実力を養う」ことにあり、異動予定者数は、異動一三人、新入社員配属一一人の合計二四人であった。
しかしながら、同年四月二一日地本からナトコ労組の公然化通告を受けたため、被告は無用の混乱と誤解を回避すべく、新入社員の配属を除き人事異動を見合わせることにした。
(4) 昭和五六年秋季の人事異動について
(イ) 同季の人事異動の必要性とその目的
被告は、同年春季の人事異動を見合わせた結果、時代の要求に即応した組織作りが中断したことや業界の過当競争等の原因により、被告の業績は一向に改善されず、同年一月から八月末までの売上実績は、業界全体で前年同期比一〇三パーセントであるのに対し被告は九九パーセントと極めて不調であった。同年九月に昭和五六年度の決算数字の概要を予測した結果も、同業他社と比較して被告の著しい業績の低迷が判明した。そのため、被告は同年一一月から始まる昭和五七年度決算期においては、当初の目的を実現するため、機能的組織を作る必要に迫られた。そこで、同年九月一六日、一〇月一日及び同月一五日の幹部会において、秋季の人事異動の概要を決定し、同月一九日より、異動対象者各人に内示した。同季の人事異動は、これまでの経緯及び以下の事情からみて、是非とも実施する必要があるものであった。
① 営業部門の強化は低迷する販売高の増進に不可欠であり、そのためには営業適性、塗料知識を有する者をこれに充てる必要があり、しかも、前述した品種別販売課体制を確立するためには、今後更に大幅な人員増加が必要であった。
② 第二技術課に開発係を新設して独立性のある部署で新規特異性のある製品開発に当たり、長期的展望に立って製品開発を行う必要があった。
③ 品質管理グループを技術部より製造部に移管して製造責任体制の確立を図り、併せて製品検査や品質管理を徹底させることにより不良率、ロスを低減させ、生産性を向上させる必要があった。
(ロ) 組合との団体交渉と異動対象者の説得
被告は、昭和五六年一〇月一九日、二八日、同年一一月五日のナトコ労組との団体交渉において、前記のとおりの同季の人事異動の必要性、目的等を説明し、また、異動対象者に対しては各人に内示したうえ、これに応ずるよう説得を重ねた。
(ハ) 同季における異動対象者
同季における配置転換、転属予定者は別紙昭和五六年秋季人事異動対象者一覧表記載のとおり総員三四名であり、被告は前記の人事異動の基本方針に則り、その必要性に基づき、全社的範囲において実施することにしたものである。
(ニ) 同季の人事異動の経過と和解の成立
被告が同年一一月九日別紙昭和五六年秋季人事異動対象者一覧表記載のとおり異動(以下「五六年秋季配転」という。)の発令をしたところ、翌一〇日地本が愛知県地方労働委員会(以下「地労委」という。)に不当労働行為救済の申立てをし、同年一一月二〇日、同委員会において別紙和解書記載のとおりの和解(以下「本件和解」という。)が成立したのであるが、右和解においては、これまで必らずしも明確ではなかった配転ルールを労使の合意によって定立したものであって、被告において、右人事異動を不当労働行為と認めた訳のものでないことはいうまでもない。
また、右和解交渉の際、被告は地労委の使用者側参与委員から同季の人事異動を取消しても、新しく協定化された配転ルールに従うならば配転を取消されたものに対してあらためて人事異動を行うことも何ら差支えない旨明確な説明をうけた。そこで被告は右和解条項に従い、右異動対象者一覧表記載の原告恒川、同佐藤、同細江、同渡辺、訴外平野孝行、井上義輝の六名の異動を取り消し、その関係で原告大矢外三名の異動も取り消すこととなり、右異動対象者の内二四名の異動を実施し得たが、その余の一〇名の異動は実施することができなかった。
なお、本件和解成立の際に、公益委員から当事者双方に対し、組合員の範囲については労使双方で早急に話し合って定めるようにと申し添えられた。
(二) 本件配転の必要性とその目的
(1) 被告の業績の悪化
被告の昭和五七年度決算期の開始日である昭和五六年一一月から昭和五七年二月までの売上実績は前年同期比八九パーセントと惨たんたる結果に終わった。この間の業界の平均実績は一〇五パーセントであり、被告の二年連続の業績不振は被告の業界における地位の低下につながるもので、被告は深刻な状況を迎えるに至った。
(2) 本件配転の実施の決定
被告は、このまま営業強化策を打ち出さなければ経営に重大な危機をもたらすことが必至であったため、昭和五七年三月一日幹部会を開催してその打開策を検討した。その結果、被告は、早急に営業部門の人員の増強をして営業強化を図るとともに、前記のとおり昭和五四年一一月の職制変更以来の懸案事項でありながら、五六年秋季の人事異動において一部実施されないままになっていた専門分野の充実強化のため、人事異動を行うことを決定した。その際、当時問題となっていた在庫管理問題を解決するため、出荷業務を外部の専門会社に委託するとの決定をし、これに伴う人事異動も併せて実施することにした。
(3) 本件配転対象者の選定
被告は、前記人事異動の基本方針に則り、且つ右必要性に基づき、営業部門の欠員補充を主旨とし、後記の各異動予定者本人の資質、経験を中心に人選に当たり、なお、前記原告大矢、同佐藤外一部の者については、本件和解において問題とされ、その後昭和五七年二月一六日に地労委から示された「組合員の範囲について」の斡旋案を考慮して人事異動の大綱を定め、全社的範囲で実施することにした。
(4) 本件配転の経過と解雇処分
被告は、昭和五七年四月一日付をもって異動の発令を行う予定のもとに、昭和五七年春季人事異動の大綱、人選を別紙昭和五七年春季人事異動対象者一覧表のとおり定め、同年三月三日の団体交渉においてこれをナトコ労組に通告し、翌四日から各人に内示を始め、同月一〇日から本件和解条項に従い組合と協議に入った。右和解条項に係る協議対象者は六名であったが、組合は終始「総ての組合員を対象者とせよ」と主張し、とりわけ、五六年の秋季の和解時に配転を取り消した組合員については、被告が「営業強化上どうしても必要性のある人達である」と説明しても、「不当配転であるから内示を白紙撤回せよ」と強く要求した。一〇回に及ぶ団体交渉のなかで、被告は何度も説明し、協議を重ねたが、組合の主張は全く変わらなかった。そのため、被告は組合とも配転対象者とも十分協議を尽くしたことから、同年五月一日付をもって本件配転の辞令を発した。
その後、被告は一度団体交渉の機会を持ったが、組合の態度は変わらなかった。そのため同年五月一一日、被告は、条理を尽くして説得しても配転に応じない原告大矢外五名及び訴外井上らを就業規則に基づきやむなく解雇した。
(三) 本件配転対象者の個別的事情
(1) 原告大矢
本件配転を命令した当時、ナトコ商事では従業員の退職等により欠員二名が生じていたため、これを補充する必要があり、しかも、ナトコ商事では支配人の補佐が勤まり経理にも明るい人材を求めていたところ、右要件を充たす者は原告大矢を除いて外にはなかった。即ち、同原告はかつてナトコ商事に勤務したこともあり、且つ、経理、人事、労務知識も豊富に有し、ナトコ商事の支配人の補佐役として最適任であり、性格的にも対外折衝能力に優れ、営業活動の要となるにふさわしい人材であった。
また、本件配転により給与等の面でも、勤務地の面でも従前に比べ何ら不利益になることはない。
なお、被告は同原告の配転を決める際、同原告がナトコ労組の活動家であることを知らなかったものであるから、このことからも同原告らの組合員であること、もしくは組合活動を理由に本件配転をしたものでないことは明らかである。
(2) 原告渡辺
高松営業所駐在のセールスエンジニア(以下「SE」という)は、高松、徳島地区のユーザーに対する技術指導を主として担当するのであるが、同地区は建材、木工用塗料の需要が極めて大きく、被告は、かつて、SE一名を配置していたところである。本件配転当時これが欠員になっていたため、同地区のユーザーやディーラーからSEを補充してほしい旨の要望が強く出されており、被告としては、建材、木工用塗料に関する高度の技術、知識を有するSEを補充する必要があった。
同原告は、入社以来、主として建材用塗料の研究開発に従事してきており、建材、木工用塗料に関する技術的知識も豊富であり、ユーザーとの折衝の経験もあるうえ、これに対する技術的指導力も十分であった。また、ユーザーと直接接触することにより、同塗料の研究開発に関する技術的能力を一段と向上させ、視野を広げることも必要であった。
同原告の家族状況は、妻と就学前の子供二名で比較的転勤も容易であり、保母として勤務している妻については、新任地で就職できるように被告において準備を進めていたところである。
以上のとおり、原告渡辺はその経歴、能力、家族状況等に照らして、高松営業所駐在のSEとして最適任であった。
(3) 原告細江
名古屋駐在のSEは車両用塗料に関する技術指導をユーザーに対して行うことを主たる職務としているが、車両用塗料は使用法が難しく、その販売にはユーザーに対する技術指導が不可欠である。被告においても、従来数名の車両用塗料のSEを置いていたが、本件配転当時は前任者が退職したこともあって車両用塗料のSEは一名だけとなっており、これを補充する必要があった。
同原告は、入社以来、主として車両用塗料の技術者として勤務してきており、車両用塗料に関する技術的知識は相当高度であり、車両用塗料のSEとしての適性は十分あり、他に適任者はいない。また、車両用塗料部門は新製品開発の要望が大きいところであるが、同原告はSEとして勤務したことにより得た知識、経験を右新製品の開発に生かすこともでき、その意味でも適任者であった。
本件配転は転居を伴うものではなく、出張が多少増加するといっても、家庭生活に影響がある程のものではなく、同原告に不利益をもたらすものではない。
なお、被告は昭和五六年一一月一〇日前記不当労働行為救済申立てがあるまでは、同原告が組合の活動家であることを全く知らなかったのであって、同原告の組合活動を理由に本件配転をしたものでないことは明らかである。
(4) 原告佐藤
広島営業所は中国地方を担当地域とし各種塗料を扱っているが、木工用塗料の有望市場を抱えているにもかかわらず、販売店網の整備、開拓が遅れているため、優秀なベテラン営業マンを配置する必要があった。
同原告は、入社以来、主として営業畑に勤務してきており、営業マンとしての能力も高いうえ、昭和五四年から総務課人事労務係を経験し、管理能力も向上させていたので、広島営業所長として最適任者であった。
同原告の家族は妻と就学年齢の子供二名がいるけれども、被告としては地方勤務者に対してその生活安定のため十分な処遇をし、家庭生活に与える影響が最小限に止どまるよう配慮しており、本件配転により、同原告が家庭生活上の不利益を受けることは殆どないと思われる。
(5) 原告恒川
大阪地区は各種塗料の需要が大きい有望市場であるが、被告の市場占有率が低く、営業マンの拡充が要請されており、特に収益率の高い自動車補修用塗料の売上向上が期待されていたにもかかわらず、この分野での知識を持つものがおらず、早急にこれに応じた人員の補充が必要であった。
同原告は、入社以来、調色業務に就いてきており高度の調色技術を有するところ、自動車補修用塗料の販売にとって営業マンが調色技術を有していることは極めて有利であり必要でもあるうえ、同原告は対外折衝能力にも優れているから、自動車補修用塗料販売の営業マンとして最適任者であった。
なお、被告が昭和五六年春季の異動に先立ち同年三月頃、同原告に大阪営業所への配転の意向を打診した際、同原告は当時病気療養中の祖父の最期を看取りたいとの希望を述べたが、基本的には配転を了承していた経緯がある。
同原告には妻子がなく、本件配転による家庭生活上の不利益もない。
(6) 原告加藤
本件配転当時、第三製造係樹脂班には欠員が生じており、これを補充しなければ生産体制にも支障が生じかねず、早急にこれを補充する必要があった。
同原告は、勤務態度も良好であるから製造部の最重要職場である樹脂班に適任であるほか、独身で健康にも恵まれているから交替勤務により家族に負担をかけることもない。
四 被告の主張に対する原告らの認否、反論
1 認否
(一) 被告の主張1は否認する。
(二) 同2中、原告佐藤が本件解雇後「マイカップ」の屋号で喫茶店を営業していることは認めるが、その余の点は否認する。
(三) 同3の(一)の(1)は不知、同(2)は認める。
同(3)中、昭和五六年春季の人事異動が計画され、これが取り止めとなったことを認め、その余は不知ないし否認する。
同(4)中、五六年秋季配転が計画され、異動対象者に対し内示がなされたこと、本件和解が成立し、原告恒川外五名及び原告大矢外三名の異動が取り消されたことを認め、その余は否認する。
(四) 同(二)の(1)は争う。
同(2)は不知。
同(3)は不知。
同(4)中、本件配転の内示がなされたこと、和解に係る協議対象者が六名であったこと、ナトコ労組が原告らに関する配転の白紙撤回を求めたこと、一〇回の団交が持たれたこと、本件配転の辞令が発せられたこと、本件解雇の意思表示がなされたことを認め、その余は否認する。
(五) 同(三)中、各原告の経歴を認め、その余は争う。
2 反論
(一) 被告は、昭和五六年春季の人事異動、五六年秋季配転並びに本件配転を計画したのは、同業他社と比較して二年連続しての業績の低迷、不振があり、これを打開する必要があったかのごとく主張するが、被告がその比較の対象とした期間及び業種、会社の規模等のいずれを見ても、比較の対象とするには不適当なものであって、このような比較対象を基準に被告の業績を判断すること自体無意味である。むしろ、被告の業績は極めて順調であり、これまで莫大な利益を上げてきているのであって、決して、業績の回復、打開のために配転を必要とするような状態にはなかったものである。
(二) 原告大矢外五名の配転の必要性、人選の合理性についても、被告の主張するところはいずれも抽象的で根拠も明確でなく、本件配転に至る経緯、配転先の人員構成、同原告らが解雇された後の被告の人員補充の状況等に照らして、これが虚構であることは明らかであるが、各原告の人選については、次のような不合理性がある。
(1) 原告大矢
被告はナトコ商事に欠員が二名出たことをもって配転の必要性があると主張するが、その内容は全く明らかにされていない。
原告大矢は昭和四七年五月から昭和四八年九月まで総務課人事労務係長兼庶務班長として勤務したのち、昭和四八年九月ナトコ商事の支配人として転属したが、昭和五一年四月被告会社代表取締役粕谷菊次郎から「(大矢の)営業センスがないので、営業成績が上がらない」と決めつけられ、これを理由に、原告大矢は支配人から一営業マンに降格されたのである。しかもその上、昭和五一年一一月、やはり右粕谷菊次郎から「営業より経理の仕事がむいている」といわれて、再び被告会社に転属されたものである。そして、本件配転は、訴外三田村をナトコ商事支配人から被告会社経理係長に配転させるに伴って、訴外日置をナトコ商事支配人にあてると同時に原告大矢をその補佐役にするというものである。しかし、昭和五六年秋にも、原告大矢を除く右三田村と日置の各配転は予定されていたが、日置支配人の補佐役なるものは考えていなかったのであり、昭和五六年一一月の和解協定に伴って、三田村・日置の右配転も実現されず、従って補佐役の必要性について何ら新たな事情の変化がうかがえないにもかかわらず、その僅か半年後に新たな補佐役なるポストへ原告大矢を配転するということは全く不合理である。
(2) 原告渡辺
被告は、高松営業所徳島地区について、建材木工用塗料のSEが欠員となっていたことをもって配転の必要性があると主張する。
しかし、徳島地区は仏壇を中心とした家具の生産が主で、建材用塗料の需要は少なく、近時住宅着工件数が減少してきているため、合板メーカーは不況になっているのであり、さらに、本件解雇後の状況をみると、現在に至っても配転先である高松営業所にSEは全く補充されていないことからも配転の必要性がなかったことは明らかである。なお、昭和五八年度には新入社員野本泰造を「営業マン」として配属しているが、これは高松営業所にはSEではなく、営業マン、しかも新入社員で十分足りたことを証明している。
また、被告は、原告渡辺が「入社以来建材用塗料の研究、開発に従事しており、建材・木工用塗料に関する技術的知識も豊富であること」「ユーザーに対する技術指導力も十分であること」その他家族的に不利益がないことを人選の理由としたと主張する。
しかしながら、原告渡辺には建材用塗料の知識・技術はあっても、木工用塗料の知識・技術を持つわけではなく、全く不適任である。原告渡辺は入社以来一貫して建材用塗料の技術開発に従事してきたのであって、木工用塗料は一度も扱ったことがなかった。しかも、建材用塗料と木工用塗料ではその性質、使用方法等が全く異なるため、知識・技術につき共通する点は殆ど存しないのである。即ち、木工用塗料は家具に手で一つ一つ塗られる汎用品とされているのに対し、建材用塗料は大量生産方式のライト塗装が主で、各ユーザーのラインにのせられ、そのラインの速度、長さ、仕組等にマッチした塗料が要求され、特注品とされている。従って、建材グループにおいては、各従業員が個別的に各ユーザーを担当し、特注品を設計していたほどである。
また、組織的にみても、木工グループと建材グループは明確に分かれており、両グループ間に人事交流がなかった。このことからも両グループの研究内容は、共通点がほとんどなかったと言えるのである。
(3) 原告細江
被告は、名古屋駐在のSEが一名退職したことによる欠員を補充することをもって配転の必要性があると主張する。しかし原告細江の場合も前任者たるSEの氏名は明らかではない。
そもそも、車両用塗料のSEが減少したのは、被告会社のSE政策が全く一貫しておらず、SEを育成、補充しなかった結果なのである。例えば昭和五四年一〇月にSE制度を廃止してしまったり、昭和五六年八月SEのリーダー訴外梅沢俊男がリーダーからはずされるなど、一貫した政策がないうえに、訴外中尾和彦、同太田博章、同和田野宏が次々と退職してしまったにもかかわらず、これを補充してこなかったからなのである。
さらに本件解雇後の状況をみても、その後SEは全く補充されておらず、SE欠員のため補充する必要があるという被告の主張は全くの虚構に他ならない。
さらに、被告は、原告細江が「入社以来車両用塗料の技術者として勤務してきたため、車両用塗料の技術的知識は相当高度であること」を人選の理由としてあげている。
しかし、原告細江には自動車用塗料の知識はあるもののSEとしての適性を有しているとは言い難い。即ちSEの職務内容は、ユーザー、販売店をまわり、車両用塗料に関する商品説明会を開いたり、技術指導、クレーム処理等したりすることであるがその中には、塗料を実際に調合し、むらなく塗るという塗装技術を要求される。しかるに原告細江は、入社以来実際に自動車を塗ったことがなく、あってもそれはガメロン静電塗装という特殊な方法であって、SEとして要求されるスプレーガンによる塗装方法ではなかった。さらには原告細江は昭和五七年二月に東京で商品説明会をしたことが一度だけあるが、その際、梶浦本部長から説明が下手であると決めつけられている。このような者が何故SEに適していると被告が判断したのか全く理解できない。
(4) 原告佐藤
被告は、広島営業所の担当する中国地方は、塗料の需要が大きく販売店網の整備開拓が遅れていたと主張する。
しかし、広島営業所は、高松営業所、新潟営業所と売上高において大差なく、特に他より強化する必要はみられない。むしろ、昭和五五年、五六年度は売上伸長率が他の営業所よりすぐれていたほどであり、販売網の整備、開拓が遅れていたとはいえない。
この点については、被告はどのように遅れていたのか、現在に至るまでその具体的事情を全く明らかにしていない。そして本件解雇後の状況をみると昭和五三年入社の訴外水谷卓司を原告佐藤の補充として広島営業所長に配転しているのであって、まだ三〇才前後の若い訴外水谷が営業所長として活動していることからみれば、ベテラン営業マンを配転することは全く必要なかったといえるのである。
また、被告会社は、原告佐藤が「入社後主として営業畑を歩んできており、その営業マンとしての能力は高いこと」「昭和五四年以後総務課人事労務係を経験することによって管理能力を向上させたこと」を人選の理由としたと主張する。
しかし、第一に、原告佐藤は営業マンとしての能力が高いと被告が判断していたとはとてもいえない。即ち原告佐藤は昭和五三年一二月に高松営業所所長であったのを営業能力がないことを理由に同営業所徳島駐在員に降格されただけでなく、さらに昭和五四年三月には営業からはずされ、総務課人事労務係(平社員)に降格されたのである。しかも二度目の降格の際には営業部長と特価の件で争い、梶浦営業本部長から「営業センスがない」と決めつけられ、その日のうちに配転の内示を受けた程であった。
第二に、管理能力の点についても、広島営業所は、所長の下には女子事務員一人だけで、SEはいても営業マンはおらず、所長自ら営業マンとして販売店をまわらなければならないのであって、管理能力の必要性を過度に強調する必要は全くないといわなければならない。現に、本件配転命令当時の所長であった訴外国立秋夫も、本件解雇後配転となった訴外水谷卓司も共に三〇才前後の若手営業マンである。
(5) 原告恒川
被告は、大阪営業所には、収益率の高い自動車補修用塗料の分野での知識を有する者がいなかったことを配転の必要性として主張する。
しかし、この主張は、たとえば大阪営業所にはどの塗料に詳しい営業マンがいるか、自動車補修用塗料に詳しい営業マンは過去にいたのか、いたとしたら何時辞めたのか等、全く具体的事実の主張を欠くものである。
さらに本件解雇後の状況をみても、昭和五八年度の新入社員池永裕人を営業マンとして配属しているだけであり被告の主張する配転の必要性なるものは全く虚構である。
しかも、被告は、原告恒川が「入社以来調色業務にたずさわってきており、高度な調色技術を有していること」「対外折衝力も優れていること」をその人選の理由として主張する。
しかし、この理由は全く不可解である。原告恒川の有する調色技術だけでは大阪営業所の営業マンが勤まるとはとても判断できないのである。即ち、原告恒川は、自動車補修用塗料の営業マンとして配転させられるのであるが、原告恒川の有する技術は、建材用塗料の調色である。そして建材用塗料の調色は、原色が五種類位しかないのに対して自動車補修用塗料は原色が四〇種類以上もあって、調色技術は共通ではない。また営業マンとなれば塗料の価額とか塗料の性質、使用方法とかの知識も必要であって、調色技術だけではとても勤まらないのである。
(6) 原告加藤
被告会社は、本件配転命令当時、樹脂班には一名の欠員があったことをもって配転の必要性ありと主張する。しかし、被告会社は現在に至るまで、誰の欠員であったのか明らかにしていない。
また、本件配転は、発送班にいた訴外北村宣夫が発送班の廃止にともなって資材係への配転を希望したことによる玉突き配転にすぎないのであって、仮に樹脂班に欠員があれば、発送班の従業員をこれに充てればすんだのである。
更に、本件解雇後、樹脂班では訴外池田英章及び同辻俊広の二名が退職し、欠員は計三名になったはずである。しかるに昭和五八年四月に訴外西正哲夫と同年五月訴外湯原莞爾の二名を補充したのみで、結局現在に至ってもなお一名の欠員があるということになる。
また、被告会社は、原告加藤が「勤務態度も真面目で欠勤も少ないこと」「健康には極めて恵まれていること」を人選の理由としたと主張する。
しかし、勤務態度が良いということは、原告加藤のみにいえることではない。また原告加藤は、日本ダンロップに以前働いていたとき健康を害し胃腸の調子がくずれやすかったため、早退したこともあったのである。
3 本件配転命令並びに本件解雇の効力
そもそも、使用者が労働者に対し、配置転換、転属(以下「配転」という)を命ずることができるのは、使用者において配転を行わなければならない「業務上の必要性」と「人選の合理性」及び「手続きの正当性」の三要件が必要であるとされてきたところである。しかるに、本件配転は、これら要件の一つとして満たすことなく以下述べるような経緯で行われたものであるから無効である。とりわけ、本件配転は被告の不当労働行為としてなされたものであることに留意されるべきである。従って、かような無効な業務(配転)命令違反を理由になされた本件解雇が無効であることはいうまでもない。
(一) 不当労働行為
(1) 本件配転は、被告がナトコ労組の弱体化を狙い、併せて、組合員資格の線引き問題について被告の見解をナトコ労組に一方的に押し付けようとの意図のもとになされたもので、いずれもナトコ労組に対する支配介入であり、また、原告大矢外五名がナトコ労組の組合員であること及びその組合活動を理由に同原告らを不利益に取り扱うものであって、労働組合法七条一号、三号に違反する不当労働行為であるから無効である。
(2) 本件配転並びに本件解雇に至る経緯
(イ) 組合の結成
被告及びナトコ商事は、粕谷菊次郎が代表取締役を兼任するところの同族会社であり、粕谷一族によるワンマン経営がなされ、昭和二三年に設立以来急成長を遂げてきた会社であるが、その一方で、従業員の労働条件及び作業環境を低劣に押さえ、不当な降格、配転を行い労働者の権利を抑圧してきた。そのため、昭和五二年頃から原告渡辺、同細江、同恒川らが中心となって、続いて井上義輝、市場丈規(以下いずれも姓でのみ表示する。)らも加わって、こうした労働条件、職場環境及び不当人事を改めてさせるべく、労働組合結成の準備活動を開始し、同五四年頃には非公然組織であるN分会が結成された。
その後、N分会は非公然のうちに活動を続け、昭和五六年四月二〇日単位組織をナトコ労組として公然化大会を開き、翌二一日被告に対し、組合公然化通告を行った。当時の組合員数は八〇名であった。
(ロ) 組合結成後の不当労働行為
ナトコ労組は、組合結成とともに、被告に対し労働条件、職場環境の改善、労働基準法三六条、三七条違反の是正を要求し、相当の成果をあげた。これに対し、被告は、公然化通告直後こそ組合を認めるかのような態度をとったが、翌二二日以降は組合敵視の態度に変わり、ナトコ労組に対し、団交の拒否、「あの組合はアカだ、組合は会社を潰す。」といったデマ攻撃、組合員に対する脱退工作を一貫して繰り返した。
(ハ) 昭和五六年秋季の不当配転
被告は昭和五六年一〇月一九日突如ナトコ労組に対し、人事異動、組織変更を行う旨の主旨説明を口頭で行ったが、該当者、配転日時、変更部署などについては一切明らかにしなかった。そして、同日午後から同月二八日にかけて、被告は原告大矢外のナトコ労組員を個別的に呼び出し、別紙昭和五六年秋季人事異動対象者一覧表記載のとおりの配置転換及び昇格の内示をし、同年一一月九日同旨の業務命令を出す五六年秋季配転を行った。その五六年秋季配転が、ナトコ労組の弱体化を狙ってなされた不当労働行為であることは明白であった。
(ⅰ) 意向打診のない突然の内示
被告は、これまでの人事異動においては、配転対象者に対して内示の前に意向打診をし、これを考慮して配転の内示をしていたのに、五六年秋季配転においてはこれをせず、配転対象者に考慮の暇を与えず突然内示して組合の弱体化を図ったものである。
(ⅱ) 配転内示の強要
ナトコ労組は、原告大矢、同渡辺、同細江、同佐藤、同恒川、前記井上、同平野、その外組合員八名から交渉を任されたこともあって、昭和五六年一〇月二一日の事務折衝を始め、同月二八日、同年一一月五日の団交等において、再三に亘って、被告に対し右の者らに対する個人的内示を行うことを止め、組合と話し合うよう要求した。しかし被告は、配転は個人の問題であるとして組合との話合いを拒否し、執拗に個々人に承諾を迫った。
(ⅲ) 五六年秋季配転の狙い
同季の人事異動の対象者は三四名とされているが、新入社員の配属三名、所属部署の名称の変更に伴うもの四名、右配転内示の日以前に既に事実上の異動を終えているもの六名を除くと、実質上の配転対象者は二一名で、そのうちナトコ労組の組合員は一七名の多数である。しかも、右一七名のうち、前記平野はナトコ労組の委員長、原告恒川は同書記長、訴外畑宏則、同川上進、同宮原貞夫及び原告佐藤は同執行委員、前記井上は支部執行委員、原告渡辺は支部執行委員兼地本執行委員、同細江はナトコ労組教宣部副部長教育担当と組合の役員であり、その余の者もいずれも中心的活動家であった。
次にその配転先をみると、その殆どが、広島、新潟、高松、大阪など、組合活動の中心となっていた三好工場から遠隔地で、出張も多いなど組合活動の困難な外勤部門であり、更に、三好工場内の組合活動の中心的職場である技術部に所属するものが一七名中一二名も存在していた。
このように、同季の配転はナトコ労組の中心的活動家を三好工場から追放し、同人らの組合活動を事実上不可能にさせ、もってナトコ労組を弱体化させようとしたものである。
(ⅳ) 第二組合の結成
五六年秋季配転に前後して、同年一一月二日に被告の援助の下に、愛知一般同盟ナトコペイント労働組合(以下「同盟ナトコペイント労組」という)が結成され、同労組からナトコ労組員に対し、脱退、勧誘工作が行われ、これは被告による配転命令の強要により混乱していたナトコ労組を一層弱体化させるものであった。
(ニ) 不当労働行為救済の申立と和解の成立
(ⅰ) 被告は同年一一月九日赴任期限を同月一六日(但し、原告恒川は同月二三日)と定めて配転辞令を交付してきたので、地本は、翌一〇日地労委に対し、不当労働行為救済の申立てをするとともに実効確保の措置を求めた。
(ⅱ) 同年一一月一六日地労委において「被告は一週間配転を凍結する。その間、和解のため団交を持ち話し合う。」との確認がなされ、被告がこの確認に真面目に対応しないということもあったが、同月二〇日地労委の説得により別紙和解書記載のとおり、原告恒川、同渡辺、同佐藤、同細江及び平野、井上に対する配転命令を取消す等を内容とする本件和解が成立した。
(ホ) 五六年秋季配転以後の組合攻撃
(ⅰ) 被告は本件和解成立後も様々の組合攻撃を加えてきた。
その主なものの一つは、新入社員の寮強制移転である。これは、ナトコ労組員が入居者の大半を占めている三好町所在の寮に入居していた新入社員を、昭和五六年一一月下旬頃と翌五七年春の二度に亘り、同寮から名古屋市内の寮へ強制的に移転させ、ナトコ労組の弱体化を意図したものである。もう一つは、ナトコ労組宛に来た郵便物を同組合に渡さず、郵便局に返却したり隠匿したりして、組合の対外活動を妨害し、そのうえ、ナトコ労組の抗議に対し組合の郵便物は一切取次がないとして抗議を受け入れなかった。
(ⅱ) 組合員の範囲について
被告は、昭和五七年一月地労委に対して組合員の資格について線引の斡旋の申請をした。その内容は課長以上及び総務課に属する全員については組合に加入できないというものであった。しかし本来、組合員の範囲については組合が自主的に判断すべきことであり、労組法二条但書一号の趣旨は使用者の利益代表者が組合の自主的活動を阻害しないように組合の利益を保護するというにあるから、この条文を盾に会社側が組合員の資格を制限するのは組合の運営に対する支配介入である。
(3) 本件配転並びに本件解雇の不当労働行為性
(イ) 本件配転の不当労働行為性
被告は、ナトコ労組の結成以来、一貫して同組合に対する敵視、排除、妨害政策で臨んできていたが、本件配転はこれら被告のナトコ労組弱体化政策の一環であり、この点は本件配転に至る経緯のなかで被告による数々の違法行為によって明らかにしてきたところであるが、本件配転の内容自体からも、その不当労働行為性は明白である。
(ロ) 本件配転による原告大矢外五名の不利益
(ⅰ) 原告大矢
本件配転は、一旦営業センスがないとのらく印を押した者に対し、再度営業への配転を命ずるものであり、しかも、職制上の地位も全くはっきりしない支配人の補佐役に転属させるということは、同原告にとって大きな精神的苦痛であり、退職を強要されるに等しいものである。
(ⅱ) 原告渡辺
同原告は地本及び支部の執行委員であるが、高松営業所へ配転になれば、月に一、二回の地本及び支部の執行委員会への出席が不可能になるのをはじめ、執行委員としての職責の遂行は不可能になる。更に、同原告は昭和五五年八月に建売住宅を購入したばかりで、月々九万五〇〇〇円(ボーナス時三五万円)の返済をしており、また、六才と三才の子供は近所に住む妻の両親に同原告が送り迎えした上面倒をみてもらっている。加えて、近々に同原告の両親と同居することになっていることからすれば、本件配転が同原告の家族の生活破壊になることは明白である。
(ⅲ) 原告細江
同原告は、名古屋営業所のSEに配転させられた場合、全国を出張して飛び回わるというその職務の性格上組合活動に参加することが事実上不可能となり、教宣部副部長として主に教育を担当してきたその任務の遂行は不可能となる。更に、同原告の妻は病弱であり、二人の子供を抱え、月の大半が出張であるSEの仕事は、同原告の家庭を破壊するものである。
(ⅳ) 原告佐藤
同原告は、梶浦生産本部長から昭和五六年六月九日に組合脱退工作をうけ、また組合員資格の線引き問題でも常に矢面に立たされた如く、組合にとって最も重要な人物の一人であり、もし同原告が広島営業所に配転になった場合、同原告の執行委員としての各種任務は果せなくなってしまう。更に、同原告は自宅を持っているが、二人の子供が此迄に三回転校しており、友達ができてもすぐ離れてしまうので転校はこれ以上困ると子供からも言われている。
(ⅴ) 原告恒川
同原告はナトコ労組の書記長であるが、大阪営業所勤務となれば、組合活動の中心である三好工場の労働者との日常的な接触を断ち切られ、多くの労働者、組合員の中での活動は全くできない状況におかれて、団体交渉への出席、事務折衝、集会における報告、三役会議、執行委員会への出席、大会、全体集会での基調報告、方針案の提起等の書記長としての任務は全く果せなくなってしまう。同原告が大阪へ行くことになればナトコ労組は致命的な打撃を被るのである。また、同原告は長男で両親と同居しているが、将来は祖母と定年を過ぎて嘱託勤務の父や母の扶養の責任をもつものである。いつ本社に戻れるとも知れぬ本件配転は、同原告の家族を不安に陥れるものである。
(ⅵ) 原告加藤
同原告の担当してきた資材係は交代勤務のない職場であるが、樹脂班は二交替勤務であり、同原告も樹脂班に移れば交替勤務に組み込まれることは明らかである。同原告は唯一の準社員の執行委員として、準社員の地位向上のために活動してきたが、交替勤務となれば、執行委員会への出席も二回に一回は不可能となるうえ生活のリズムが狂う等様々な生活上の苦痛も予想される。同原告が被告会社に準社員として入社したのは、以前日本ダンロップに勤務していた当時、三交替勤務で体をこわしたことがあり、資材係には交替勤務がなかったからであって、準社員には配転がないという入社時の被告の説明を信じたからである。
(ハ) 本件配転とナトコ労組
(ⅰ) 昭和五七年春季人事異動における異動対象者三二名のうち、非組合員と思われる者九名を除くと、ナトコ労組員の数は一七名と五六年秋季配転と同様に多数を占め、これに比べ同盟ナトコペイント労組員は数名にすぎなかった。
(ⅱ) 原告恒川、同佐藤、同渡辺、同細江、訴外井上は前記のとおりそれぞれ組合の役員として、この当時は原告加藤もナトコ労組の執行委員として、原告大矢は役員ではなかったが、以上の者はいずれもナトコ労組の組織運営に不可欠の人物であり、それぞれの職場において重要な任務を担った中心的活動家であった。前記のように本件配転によりその任務を遂行することが極めて困難ないし不可能となり、ナトコ労組も甚大な損害を被ることになった。
(ニ) 組合員の範囲について組合自治の侵害
原告大矢及び同佐藤は、本件配転当時それぞれ総務課経理係長及び同人事労務係長の地位にあったが、被告は、組合員資格の問題に関して、これら係長の職にあるものはいずれも非組合員でなければならない旨主張していた。本件配転は、ナトコ労組員を右各係長の職場から排除しようとの意図で行なわれたもので、組合員資格の線引き問題について、組合との間で合意できなかったものを組合の意向を無視して人事異動といった手段により、一方的に実現しようとしたものであって、これはナトコ労組に対する支配介入である。
(ホ) 本件解雇の不当労働行為性
一次解雇の意思表示は、後記のとおり原告大矢外五名に到達していないから、効力は未だ生じていないわけであるが、この点を措くとしても、本件解雇は、これまで主張の諸事実から明らかなように、初めから組合弱体化の意図をもって本件配転を強行し、これに従わない原告大矢外五名及び前記井上ら組合員を業務命令違反を理由に解雇して会社外に放逐することを狙ってなされたものであって、これが不当労働行為に当たることは明らかである。
(二) 和解協定違反
(1) 和解は、当事者間に争いがある場合、互いに譲歩し合って紛争を解決するものである。その基礎には、互いに将来、特段の事情の変化が生じない限り、その変更を求めることがないだろうという期待があり、それ故にこそ、一旦紛争を棚上げにして互いに譲歩するのである。和解には、具体的条項として書かれていなくても、当然将来特段の事情の変化が生じない限り、和解内容の変更を求めないことが、和解の内容となっているのである(平和義務)。継続的契約、とりわけ労働契約においては平和義務が要求されるところである。
(2) 本件配転のうち、原告渡辺、同細江、同佐藤、同恒川及び訴外井上に関する部分は、本件和解で取消された五六年秋季配転と同一内容である。しかも本件和解成立後、被告においては格別の営業強化策をとったわけでないことからして、本件配転は、地労委関与のもとに成立した本件和解を何ら事情の変化がないにもかかわらず、和解成立後僅か半年後に一方的に踏みにじってなされたものというべく、本件和解を締結した当事者の合理的意思に反し、和解に内在する平和義務に反する無効なものである。従って、このような業務命令違反を理由になされた本件解雇も無効である。
(3) 本件和解には、今後被告において配転を行う場合は、組合に対し三週間前までにその概要を明らかにし、かつ一定の者の配転については組合と協議しなけばならないと定められている。しかるに本件配転の際、被告がナトコ労組との一〇回に亘る団交によって行ったことは、何ら協議といえるようなものではなかった。従って、本件配転並びに本件解雇は、本件和解条項に違反し無効である。
(三) 労働契約違反
原告加藤、同渡辺、同細江については、次のとおり労働契約が成立しているから、被告は同原告らの同意なしに一方的に配転することは許されないところ、本件配転は同原告らの意に反してなされたものであるから無効である。
(1) 原告加藤について
原告加藤は、昭和五四年七月三一日、被告に入社する際の面接において、当時の管理課長であった田中和夫から、「この会社は準社員と正社員の制度があるが、準社員は配転、転勤がないかわりに給料に差があります。準社員の場合は同じ職場で安心して働けます。」という説明を受け、右説明を信じて入社したものである。従って、準社員である同原告については、資材係の職場から配転しないという条件のついた労働契約が成立した。
(2) 原告渡辺、同細江について
原告渡辺は昭和四六年三月静岡大学工学部工業化学科卒業後昭和四七年三月被告に入社して以来、また同細江は昭和五〇年三月岐阜大学工学部工業化学科を卒業して被告に入社し昭和五一年二月から、いずれも技術課の技術部員として働いて来た。右のような経過に照らしてみると、右原告らと被告との間には同原告らを技術部員として稼働させる旨の合意が黙示に成立したとみるべきである。
しかるに同原告らの配転先であるSEはその実態が営業マンにほかならず、これは異職種配転であって、右合意に違反する。
(四) 本件解雇の意思表示の不到達並びに業務命令違反の不存在等による無効
(1) 被告が昭和五七年五月一一日付で行ったという一次解雇の意思表示は、原告恒川に対し同月二五日に到達した分を除き原告大矢外四名には到達していないから、同原告らについてはその効力は発生していない。
(2) 業務命令違反の不存在
被告は原告大矢外五名に対し、本件配転の業務命令違反を理由に一次解雇した旨主張している。しかし同原告らは、ナトコ労組のスト指令に従って、本件配転命令による赴任期限前から指名ストに入っていたから、その間は被告の一切の業務命令に従う義務はなく、本件配転の業務命令違反の責任を問われる謂れはない。
(3) 二次解雇も一次解雇の無効原因を引き継いでなされたものであって無効である。仮にそうでないとしても、二次解雇の意思表示がなされた当時、ナトコ労組は指名ストを解除し、原告らは被告に対し就労請求をしたが、被告は既にこれを容れる意思も状況にもなかったものである。従って、被告の業務命令は、これに従えない状況を自ら作り出しておきながら、これに従っていないことを理由に解雇しようとするものであって、明らかに不当である。
(4) 解雇予告手当の不提供による無効
二次解雇は予告手当の提供なくしてなされたものであり、しかも二次解雇は一次解雇が無効であることを慮ってなされたにも拘らず、それまでの間の賃金の提供もないといった重大な手続き違反を犯してなされたものであるから無効である。
五 原告らの本件解雇無効の主張に対する被告の認否、反論
1 四(被告の主張に対する原告らの認否、反論)の2は争い、3の冒頭部分及び同(一)(1)は否認する。
同(2)の(イ)中被告及びナトコ商事の代表取締役を粕谷菊次郎が兼任していること、昭和五六年四月二一日ナトコ労組が被告らに対し公然化通告を行ったことを認め、ナトコ労組公然化の経緯は不知、その余は争う。
同(ロ)は否認する。
同(ハ)中被告が人事異動の主旨説明を行い原告に主張のとおりの五六年秋季配転を内示したことを認め、その余を否認する。
同(ニ)中原告主張の不当労働行為救済申立及び実効確保措置の申立がなされたこと、本件和解が成立したことを認め、その余は争う。
同(ホ)中新入社員の寮移転がなされたこと、被告が原告主張のとおり地労委に対し組合員の資格について線引きの斡旋申請をしたことを認め、その余は否認する。
同(3)は争う。
同3の(二)(1)中、和解の一般的性格は認めるがその余は争う。
同(2)中、原告渡辺外四名の本件配転の内容が五六年秋季配転のそれと同一であったことを認め、その余は否認する。
同(3)中、本件和解条項中に一定の者の配転について組合と協議すべき旨の定めのあることを認め、その余は否認する。
同3の(三)は否認する。但し、原告加藤、同渡辺、同細江の経歴は認める。
同3の(四)は否認する。
2 反論
(一) 不当労働行為について
被告が原告らに本件配転を命じ、その後これに応じなかったことを理由に解雇した経緯については既に主張のとおりであって、ナトコ労組員であるからといってこの配転から除外していたのでは全社規模で行った昭和五七年春季人事異動の目的を達成することはできなかったのであり、被告は不当労働行為意思など全く有していなかった。現に、被告は原告大矢、同佐藤、同恒川についてはナトコ労組公然化前である昭和五六年三月の時点で既に配転についての意向を打診しており、また、昭和五六年秋季異動内示の時点で、原告恒川を除く、その余の原告らがナトコ労組の組合員であることを知らなかったのである。また、原告大矢、同細江、同加藤は本件配転によっても転居の必要はなく、組合活動をするうえでの不便は全くない。特に原告加藤は工場内配転であるからこのことは明らかである。
(二) 和解協定違反について
本件配転につき、被告は組合と一〇回にわたって団体交渉を行い、本件和解の精神に則り条理を尽して説得したことは先に主張したが、これに対して組合は本件配転の「白紙撤回」を要求するのみで、配転の妥当性につき格別具体的な反論をしたり、事態の解決につき柔軟な姿勢を示すことなく、かたくなな対応に終始した。原告らは本件和解成立の経過を全く無視し、和解の趣旨を曲解して我田引水的な主張をしているが、被告こそ本件和解の趣旨を忠実に実践しているものである。
(三) 原告加藤との労働契約違反について
同原告は準社員であるから配転はない旨主張するけれども、本件配転は工場内配転であり、準社員について工場内配転をしないといった規則、慣行はなく、被告はこれまでに準社員についても工場内配転をしてきているのである。むしろ、同原告を採用する際、被告は同原告に対して転居を伴う配転はないが部門間異動はある旨言明しており、同原告もこれを了承して入社したものである。
第三 当事者双方の証拠関係<省略>
理由
一原告大矢外五名が被告に雇用され、本件配転当時原告ら主張のとおりの職務に従事していたこと、被告の営業目的、その当時の営業規模、社員数、関連企業、営業所等の構成、被告が昭和五七年五月一日本件配転命令を発し、同年五月一一日本件一次解雇の意思表示をし、同五八年二月一日被告及び訴外ナトコ商事が本件二次解雇の意思表示をし、同原告らが被告の従業員としての地位にない旨主張して、同原告らの就労要求を拒絶していること、以上の事実は当事者間に争いがない。
二ナトコ労組の結成と本件配転に至るまでの経緯
原告らは本件配転が不当労働行為であることから、本件配転並びに本件解雇が無効である旨主張し、これに対し、被告は本件配転は業務上の必要性に基づき、配転対象者の経歴、技能、家庭状況等を検討したうえ、所定の就業規則に則り実施したもので正当な業務命令である旨主張する。そこでまず本件配転が命令されるに至った経緯から検討する。
<証拠>によれば以下の事実が認められる。なお、原告恒川周市の審問調書中の供述記載及び本人尋問における供述を一括して「原告恒川の供述」と、右粕谷忠晴、梶浦明の各審問調書中の各供述記載及び各証言を一括してそれぞれ「粕谷忠晴の供述」、「梶浦明の供述」ということとする。
1 被告会社の規模、人事異動の方針
(一) 被告会社は、昭和二三年一一月現代表者の粕谷菊次郎の個人企業を発展させて設立された各種塗料の製造販売を業とする会社であるが、爾来一貫してその業績を伸ばし続け、昭和三二年から同四六年にかけて、東京営業所、福岡営業所、浜松営業所(後に静岡営業所に移転)、広島営業所、高松営業所、新潟営業所を次々と設置して販売領域を拡大し、同四四年には販売会社中部ナトコ商事株式会社(その後ナトコ商事に統合される。)を設立し、同四九年には同工場内に第二工場を完成させて生産量を飛躍的に増大させ、その間昭和四三年五月には本社事務も現在の三好工場に移転し、その後も工場、事務所の新増設、近畿ナトコ商事株式会社外の販売会社の設立、資本金の増額等を行ってきたものであり、創立者粕谷菊次郎を中心とするいわゆる同族会社である。
(二) 被告は従来特別の場合を除き他部署間の人事異動を行っていなかったが、右のとおりの会社の成長、拡大とともに、昭和四七年頃から業務上の必要性及び人材の活用、人事の交流、活性化の見地から他部署間、遠隔地への異動も行うようになった。そして、営業所長など比較的管理職的色彩の強いものに限られていた異動は、次第に全社的なものに広げられ同五二年頃からは概ね、春季と秋季の年二回実施されるようになった(なお、被告においては従前来ナトコ商事等関連会社への転属を設立の経緯、資本及び人事の緊密な関係から同一会社内における配転人事と同様に取り扱っていた実態があるので、関連会社への転属もこの中に含めて判断するのが相当である。)また、被告には、正規の機関ではないが、社長以下役員、部課長で構成され人事異動等の人事について、事実上の協議決定機関としての役割を担っていた幹部会があり、概ね月初めと中旬頃開催されていた。
2 ナトコ労組の結成
(一) しかし、企業規模が拡大する一方において、従業員の中に、被告の人事異動の方針が場当り的で、しかもその方法が一方的であって従業員の意思を無視しているとか、あるいは住宅手当がなく、給与も同業他社に比べて低いといったことや有給休暇が取りにくいといったような労働条件、更には有機溶剤を取扱う者に対する安全衛生が不十分であるといった職場環境等についての不平不満を持つものが出てきたことを契機に、昭和五二年頃から原告恒川、同渡辺、同細江、訴外市場、同井上らが中心となって、労働組合結成に向けて準備活動が進められ、翌五三年には地本に個人加盟し、非公然化組織としてN分室を結成した。そして右原告恒川らはN分会の役員として同分会の活動を非公然ながらも積極的に進め、それまで被告が従業員の代表者との意見交換、協議の諮問機関として設けていた経営協議会に職場代表として参加し、被告提案の職能給制度を断念させたり、あるいは被告がそれまで親睦団体の会長との間に締結していた三六協定を労基法に違反すると主張して、従業員の代表者との間で締結するよう要求し、職場代表として前記市場を選出して三六協定を締結するに至らせるなどN分会としての成果を得た。しかし同五五年七月頃に、右中心的活動家の一人であった市場が広島のSEに、井上が前記中部ナトコ商事へそれぞれ転勤、転属になり、組合活動に支障を来したが、翌五六年四月二〇日ナトコ労組として公然化大会を開き、委員長に平野孝行を、書記長に原告恒川を、その他役員一一名を選出し、翌二一日被告に対し労働組合公然化通告をした。公然化当時のナトコ労組の組合員数は約八〇名であったが、その一週間後には約一〇〇名となった。
3 ナトコ労組公然化に対する被告の対応状況
(一) 被告は営業強化の観点から昭和五六年二月頃から同年春季の人事異動を計画し、同年三月一七日の幹部会において配転対象者を一三名に絞り、これらの者に対し意向の打診を開始したが、組合公然化通告に接し同異動計画の実施を取り止めた。
被告は右異動計画を取り止めたことに関して、是非とも実施する必要性があったが組合との無用の混乱を避けるためやむを得ず採った措置である旨主張し、粕谷忠晴、梶浦明の各供述はこれに副うけれども、右供述中には、幹部会で同季の人事異動計画の決定をし、原告恒川、同佐藤、同細江、同渡辺、訴外平野、同井上らが配転候補者として名前が上がり、原告恒川、同佐藤、訴外井上に対しては意向打診もしたといいながら、これら意向打診の結果を見たうえで更に計画の実施を検討しようとの考えであったとか、あるいは配転対象者数についても新入社員の配属を除き二五人ないし三〇人の多数であったといったように、前記のような機能を果たしていたとされる幹部会での決定を見た計画について述べたものにしては今一つ明確さを欠くところがあるなど同季の配転計画そのものが、果たしてどの程度具体的に固まったものであったのかはっきりしないばかりか、同異動計画の全容も明らかにされないままである。こうした事実に照らすと、被告が同季の人事異動計画の実施を取り止めることにより組合に対する支配介入にならないよう配慮しようとしたことや、そのため、前記基本方針と目的の下に被告が定期的に実施してきた長期的人事施策になにがしかの障害を生じさせたであろうことは窺えるものの、同季の人事異動が右原告恒川ら組合員に対する関係で是非とも実施する必要性のある配転であったものと認めるにはなお困難が伴うところである。なお、同季の配転の業務上の必要性については更に後に検討することとする。
(二) ナトコ労組は公然化通告と同時に被告に対し前記人事異動、労働条件、職場環境に関する諸要求を提出するとともに、同月二八日に団体交渉の開催を求めたが、被告は中間決算のため連休明けまで応じられないとの回答であった。その後、ナトコ労組が度々早期開催を求めたのに対しても、被告は開催場所、組合側の参加人数、上部団体の参加、開催時間等の問題で組合の要求に難色を示し、組合との間に合意が出来るまでは開催に応じられないとの態度であった。そのようなことから第一回の団交が開催されたのは翌五月一三日であった。
(三) 一方、右組合公然化直後、被告代表取締役社長の粕谷菊次郎はナトコ商事の社員の前で「あの組合はアカだ。」との発言をし、数日後の被告会社の朝礼において、「自分は他から、会社を共産党に乗っ取られたのか、といわれて非常に恥ずかしかった。」といった発言をし、また、取締役生産本部長梶浦明も、「組合からの勧誘がしつこい、脅迫じみたことがあったとも聞いている。今後このようなことがあったら会社に報告して欲しい。」などといった発言をした。更に同年六月九日、梶浦本部長は原告佐藤を応接室に呼び出し、「人事労務係担当者が組合に入るのはおかしいではないか、今の仕事を続けたかったら、君にも生活があることだから、良く考えてみることだ。」と、梶浦本部長の真意の程はともかく、原告佐藤が組合から脱退しないと今後人事面等で不利益を受けるのではないかと危惧するのもやむをえないような話をした。
(四) また、同年七月七日従業員の悩みや不満を聞く場を設けたいとの粕谷社長発言のあった後、被告の元総務課長の訴外中村良男がカウンセラーとして被告の嘱託となったが、同元課長は昭和五六年六月頃から七月頃にかけて、かつての部下であるナトコ労組の組合員等と個人的に接触して、「君の将来のことを考えるとあまり組合活動はしないほうがよい。今の組合はアカだ。」「将来は総務課長になるかもしれない。自分が戻ってきたのは総務課長時代に入れた者が組合作りの中心メンバーになっているのに責任を感じたからだ。」などとナトコ労組を中傷しあるいは同組合からの脱退を勧める発言をした。その後更に、後記第二組合の委員長、副委員長になった訴外小野、同山田らがそれぞれの部下であるナトコ労組員に対して、右中村元課長の話なども交えて前同様の趣旨の発言をしたり、「企業対共産党」という書物を手渡したりなどした。なお、中村元課長は昭和五七年五月一日付けで再び被告の総務課長に就いている。
4 昭和五六年秋季配転
(一) 被告は昭和五六年一〇月一九日ナトコ労組との団交の事前折衝の場において、人事異動と組織変更を行うことを明らかにしその主旨説明をした。しかし、右説明は配転対象者、日時、配転先等について触れるものではなく、配転対象となる組合員に対する事前の意向打診等もなかったため、ナトコ労組は、これまで団交等において被告に対し組合への事前の報告、協議など配転ルールの確立を要求してきた組合の意向を無視するものであるとして反発し、被告に対し配転対象者、日時、配転先等を具体的に明らかにするよう要求し、配転対象組合員の概要が判明してから後は、原告大矢、同渡辺、同細江、同佐藤、同恒川、前記井上、同平野、その外組合員八名から交渉を任され、同人らに関する個人的な配転の内示を止めて組合との話合いをするよう求めた。これに対し被告は、人事異動の問題は会社と異動対象者個人の問題であるとの考えからこれには応じないまま、同日から同月二八日にかけて別紙五六年秋季人事異動対象者一覧表記載のとおりそれぞれ配転対象者に対し個別的に内示をし、同年一一月九日赴任期限を同月一六日(但し、原告恒川は二三日)と定めて同旨の業務命令を発した。
(二) 昭和五六年秋季配転には次のような特徴があった。
まず、同季の異動はこれまでにない大規模なものであるが、異動対象者三四名中、新入社員の配属三名、所属部署の名称変更に伴う者四名、右配転の内示の日までに既に事実上の異動を済ませているもの六名を除くと、実質上の配転対象者は二一名で、そのうちナトコ労組の組合員は一七名の多数に上るものであった。しかも、右一七名のうち、前記平野はナトコ労組の委員長、原告恒川は同書記長、訴外畑宏則、同川上進、同宮原貞夫及び原告佐藤は同執行委員、前記井上は支部執行委員、原告渡辺は支部執行委員兼地本執行委員、同細江はナトコ労組教宣部副部長教育担当と組合の役員であり、その余の者も大部分は同組合の活動家であった。次にその配転先を見ても、その殆どが、広島、新潟、高松、大阪など、組合活動の中心となっていた三好工場から遠隔地で、出張も多いなど組合活動の困難な外勤部門であり、更に、三好工場内の組合活動の中心的職場である技術部に所属するものが一七名中一二名も存在していた。
5 第二組合の結成
五六年秋季配転に前後して、ナトコ労組の運動方針に反対する立場から、訴外小野、同羽生田、同山田各係長によって第二組合の結成が図られ、同年一一月二日同盟ナトコペイント労組が結成された。そして同労組からナトコ労組員に対し、脱退、勧誘工作が行われ、これによりナトコ労組を脱退して同盟ナトコペイント労組に加入するものも現れ、右配転命令により混乱していたナトコ労組は弱体化の危機に見舞われた。もっとも、同盟ナトコペイント労組結成に当たり、被告が、営業所長会議の場において、出席者に対しナトコ労組の脱退届用紙を配布するとともに同盟ナトコペイント労組への加入用紙を配布するなどして、同労組の結成、拡大に直接関与した趣旨の前顕原告恒川の供述部分は<証拠>に照らしてにわかに採用できない。
6 不当労働行為救済の申立と和解の成立
(一) 被告が前記のとおり配転辞令を交付してきたのに対し、地本は、同年一一月一〇日地労委に不当労働行為救済の申立てをするとともに実効確保の措置を求めた。赴任期限が迫っていたことから、地労委は同月一三日被告に対し、配転命令の強行を一時見合わせるようにとの要請をしたところ被告はこれを了承した。しかし、被告がこのことをナトコ労組に連絡せず、その後もなおそれぞれの関係上司から配転対象者個々人に対し、配転命令に従って赴任するよう説得を続けさせたりなどしたため、組合は被告が配転命令を強行するものと考えて指名ストに入った。後に右事情を知った組合が被告のこうした対応を不誠実であるとして強く反発するということもあったが、こうした事情を含め地労委から被告に対し、右指名ストに対して賃金カットをしないよう、また、一週間配転を凍結し、その間和解のため団交を持ち話し合うようにとの説得がなされ、被告はこれに応じて組合に対してその旨の確認を与えた。その後更に地労委からの強い説得もあって、同月二〇日別紙和解書記載のとおりの内容の本件和解が成立した。被告は本件和解条項に従って、原告恒川、同佐藤、同渡辺、同細江、訴外平野、同井上ら六名の配転命令を取り消し、これに関連する人事として原告大矢外三名の配転命令を取り消し、残り二四名について人事異動を実施した。
(二) 右和解の過程において、組合から被告に対し配転同意約款を含め配転ルール確立の要求があり、この点について一定の合意が成立したが、そのほかに、被告からは総務課の職員は全員、なかでも経理係長の原告大矢、人事労務係長の原告佐藤については非組合員でなければならない旨の主張がなされたのに対し、組合側はこれは組合自治の問題であって、被告が容喙すべき事柄ではないとして、組合員の範囲の問題についても争いとなった。この点は和解条項には入れられなかったが、公益委員から労使双方に対し口頭で、今後十分話し合って決するように申し添えられた。なお、公益委員からの口頭による申し添えに関し、証人粕谷忠晴は前顕審問調書及び証言において、右組合員の範囲の問題を組合が被告の要望に応じて早急に話し合い解決することが、本件和解を無効にするものとまではいわないが和解に応ずる上で極めて重要な条件と考えており、その旨公益委員を通じて組合にも伝えられていたはずである旨供述するけれども、組合のこの問題に対する対応の経過及び本件和解書にこの点何ら触れられるところがないことに照し、前記公益委員からの申し添えが、右粕谷証人のいうような拘束力を持ったものとしてなされたものとはにわかに認めることはできず、他にこれを認めるべき確たる証拠もないところである。
7 本件和解成立後の労使関係
(一) 本件和解成立後、被告はナトコ労組との間で組合員の範囲の問題について、話合いを持ったが、組合側の態度は従来と全く変らず譲歩の気配は認められなかった。そこで、被告は昭和五七年一月一六日地労委に斡旋申請をし、同年二月一六日地労委より「(1)組合員の範囲は次にあげる者を除いた者とする。(ⅰ)課長以上の職にある者、(ⅱ)総務課人事労務係長、経理係長、電算係長、(ⅲ)役員の秘書及び乗用車の運転手、守衛、(ⅳ)営業所長については実情に即して協議した者、(2)労使双方は次のことを尊重しなければならない。(ⅰ)現在の総務課の人事労務係長、経理係長及び電算係長の処遇については労使協議する。(ⅱ)機構を改革する場合は組合と事前に協議する。」との斡旋案が示されたが、組合側はその受入れを拒否した。被告はこうした組合側の態度を前記和解の際示された公益委員の意向を全く無視する理不尽なものであるとして、話合いによる解決の期待を失った。
(二) ところで、組合員の範囲(資格)についての組合の右のような態度が理不尽なものか否かは、問題とされた組合員の職制上の名称から直ちに決するべきではなく、労働組合法が労働組合の自主性を確保するために、同法二条但書一号において組合員資格を人事権あるいは労働関係に関する機密に接する監督的労働者など、会社の利益を代表する立場にある者を例示してその範囲を画した趣旨に照らし、当該労働者の担当職務の実質的内容等に即して、個別的、具体的に決するべきであると解される。
そこでこの見地から、昭和五六年から五七年頃の被告会社総務課人事労務係長、経理係長及び電算係長の各職務内容についてみるに、まず、被告においては、総務課の係長といえども前記ナトコ労組公然化前に労使の協議機関として一定の役割を担っていた経営協議会において、会社側代表ではなく職場代表に位置付けられており、また給与の面でも、係長については月額八〇〇〇円の役職手当が支給されるといっても、その下位の職制である主任、班長にも支給されることになっているうえ、額の点でも課長の月額三万円との間には大きな格差があり、しかも残業に対しては割増賃金が支払われることになっているなど一般の従業員と殆ど変わらない取扱いがなされていること、次に人事労務係長の職務内容についても、同係の事務職員としては係長しかおらず、勢い日常的雑務、定形的業務に集中せざるを得ないものであるが、更に職員の採用、人事異動等についても総務課長の指示あるいは内示のあった段階で、その準備、事後処理などの事務手続に従事するのみで、その内容の決定に関与する権限は勿論、意見を述べる機会も与えられていないこと、人事考課等給与関係についても同様で、その決定過程に関与することはないこと、また、経理係長、電算係長の職務内容もそれぞれ経理に関する事務手続、電算機を使っての各種計算処理、システム設計等の業務に従事するものにすぎず、人事労務関係に関与することはないし、被告の人事労務、給与等の機密に触れることもないものであることが認められる。なお、被告はこれら係長は会社の機密に触れる機会の極めて多いものであるから、組合員資格を有しない旨主張し、<証拠>中にはこれに副う部分もあるけれども、労働組合法二条但書一号にいうところの機密が、経営、生産計画、経理状況、生産コスト等いわゆる企業秘密(一般的に、従業員がこうした機密を外部に漏らしてならないことは当然のことである。)を意味するのではなく、要するに人事労務関係における機密事項に関するものでなければならないところ、右粕谷忠晴、梶浦明の各供述部分は、いずれも右係長らの職務がいわゆる企業秘密に触れる機会の多いことや、過去の一時期に人事労務関係に関与した事実のあること、あるいは係長としてのあるべき姿を前提にしたものであって、これをもって同係長らが具体的に人事労務関係につき、その当時機密事項に触れる立場にあったことを認めるには足りないというべきであり、他に同係長らが会社の利益を代表するものであることを認めるに足りる証拠はない。
しかりとすれば、地労委の斡旋にもかかわらず、組合がこれを受け入れずに従来の見解を変えようとしなかったことから、被告が組合側のこうした態度を理不尽と考え団交による解決に消極的見方を持ったであろうことは想像に難くないが、組合員の範囲についての組合の見解は決して不当なものではなかったのであるから、これを理不尽であるとして非難することはできないところである。
(三) その他ナトコ労組と被告の労使関係の状況を示すものとして次のような事実があった。
(1) 被告は昭和五六年一一月末頃、被告三好工場の近くにある柿本寮に入居していた新入社員のナトコ労組員を同寮からわざわざ通勤等に不便な名古屋市内の寮へ本人の意思を無視して移転させた。このようなことは従来なかったことであったため、組合がナトコ労組の弱体化を狙ったものだとして抗議したのに対し、被告からは「寮の管理は、福利厚生の問題であって団交にはなじまない。」との回答があっただけであった。なお、寮の移転問題は翌五七年三月末頃同年の新入社員三名を柿本寮から一斉に名古屋の寮へ移転させた際に再燃している。
(2) 被告は昭和五七年二月中旬頃、ナトコ労組宛に来た郵便物を誤って開封したりすることを避けるためとして、これを受取らずに郵便局に返却したことがあり、組合がこの措置に抗議し、団交で折衝の結果、被告が以後取り次ぎを約束したことがあった。
(3) ナトコ労組は従前から被告に対し組合の掲示板を構内に設置させよとの要求をしていたのであるが、被告は昭和五六年一一月九日同盟ナトコペイント労組に対しては、掲示板のある場所以外の場所にポスター、ビラその他の掲示物を貼付したりなどしないこと、掲示しようとする物を事前に被告に届け出ること外を付帯条件とする協定を締結して、掲示板の貸与をした。しかし、ナトコ労組との関係では、同労組が右付帯条件は検閲を容認するものだと主張し、この条項を巡って当事者間に争いがあるため、協定の締結に至らず未だ掲示板の貸与はなされていない。
(4) ナトコ労組は組合公然化以降被告に対し、時間外の労働条件の改善及び同労組との三六協定の締結を要求してきていたが、昭和五六年一〇月一六日問題を残しながらも漸くその締結をみるに至った。ところがその後、残業時間の短縮等の要求について交渉中、被告は昭和五七年に至り、同盟ナトコペイント労組との間に新たに三六協定を締結したため、ナトコ労組と同盟ナトコペイント労組のいずれの組合が三六協定の締結権を有するかを巡って紛争が生じた。
8 以上の事実が認められるところ、「粕谷忠晴の供述」「梶浦明の供述」中右の認定に副わない部分はいずれも措信しない。
三原告らの組合活動
先に認定のとおり原告大矢外五名はいずれもナトコ労組の組合員であり、一部の原告らはその役員もつとめているのであるが、<証拠>によると、その活動状況について次のとおり認められる。
(1) 原告大矢
同原告は、ナトコ労組公然化後の昭和五六年七月原告恒川らの勧誘をうけ、会社に労働組合があってもおかしくないとの考えからナトコ労組に加入した。加入当初は格別組合活動に参加していなかったが、その後積極的に組合の集会や班会議にも出席し、同年末期に組合が行った朝礼時における体操拒否の指示にも従った。
(2) 原告渡辺
同原告は、組合非公然時代の昭和五二年から組合に加入し、同五四年には支部の執行委員に選任され、公然化に際しては上部団体とも連絡をとりあいながら議案書やビラの作成をする等公然化の準備にあたった。公然化後は支部の上部団体である地本の執行委員にナトコ労組から唯一人選ばれ、引き続き支部及び地本の活動に参画している。
(3) 原告細江
同原告は、組合非公然時代の昭和五二年から組合に加入し、一時委員長や教育部長をつとめたが、公然化後は教宣部副部長として組合員教育、学習会の運営にあたっている他、ビラ配り、オルグ活動、抗議行動等組合の行う殆どの活動に積極的に参加している。
(4) 原告佐藤
同原告は、組合公然化直後である同五六年五月一日組合の姿勢に賛同してこれに加入し、同年一〇月執行委員に選ばれた。同原告は係長という職にあり、また年長者であったことから、総務課内の組合員のまとめ役、あるいは指導役として活動してきた。
(5) 原告恒川
同原告は、組合非公然時代の昭和五二年以来、その結成及び運営に参画して分会長、書記長をつとめ、組合公然化後は書記長に就任した。公然化直後から新組合員の獲得に努力し、一週間後には八〇名から一〇〇名と組合員を増やした他、団体交渉をはじめ殆どの組合活動においてその中核として活動し、地方労働委員会への救済申立や時間外労働に関する労基署への告訴についても積極的にこれを推し進めた。
(6) 原告加藤
同原告は、組合非公然時代に組合に加入し、準社員の置かれた実情を訴えてきたが、組合公然化後は準社員問題調査会をつくって準社員の地位改善に努力してきた。同五六年一〇月には準社員から唯一人執行委員に選ばれ、団体交渉に出席する等の組合活動に従事している。
四本件配転命令の内容とその評価
原告は以上のような経緯で発せられた本件配転命令の内容とこれが原告らの組合活動に及ぼした影響などから本件配転命令が不当労働行為である旨主張するので判断する。
<証拠>によれば以下1、2、3の事実が認められる。なお、右粕谷忠晴、梶浦明の審問調書及び陳述書中の各供述記載を一括してそれぞれ「粕谷忠晴の供述」「梶浦明の供述」ということとする。
1 本件配転の内示と労使交渉
昭和五六年秋季配転につき本件和解が成立したものの、労使関係が一向に改善されない中で、被告は昭和五七年三月一日の幹部会で別紙昭和五七年春季人事異動対象者一覧表記載のとおり同五七年春季の人事異動計画を決定し、同月三日のナトコ労組との団交の席で同異動計画の主旨が営業強化と出荷業務の外部委託を目的とし、地労委での組合員の範囲に関する斡旋案も考慮したものである旨説明するとともに、今週中に内示を行う予定であるが、本件和解条項2の趣旨に則り協議対象者については組合と協議のうえこれを実施する旨通告し、翌四日から各異動対象者個々人に内示を開始した。次いで同月一〇日の団交において、被告は同季の人事異動の大綱を説明し、本件和解条項による協議対象者の氏名、配転先を明らかにした。これに対し組合は、今回の人事異動について文書でその全容を明らかにすべきこと、前回の配転取消者について再び配転を命ずるのは本件和解に違反すること、本人の希望を重視すべきことを要求した。その後今回の人事異動について(なお、勤務時間と未払賃金の問題、春闘要求なども付随的に議題となった。)三月一三日から四月末日までの間一〇回の団交が持たれたが、組合側は原告大矢外五名を含むナトコ労組員に対する今回の配転が本件和解の趣旨を無視するもので、組合に対する不当労働行為であるとの認識から、今回配転の白紙撤回を求める基本的態度を変えず、また、五六年秋季配転の時と同様、配転対象者に対する内示、協議の方法などについても配転対象者個々人にではなく組合と交渉するよう要求した。他方被告は、今回の人事異動は会社の業績不振の回復策として五六年秋季配転以前から計画していた組織変更と販売強化を図るうえで是非とも必要な措置であり、本件和解の趣旨に何ら反するものではないし、人事異動は基本的には個人の問題であるとの見地から、組合に対して配転の必要性、人選理由等について更に敷衍して説明を加えるとともに、配転に応じられない旨意思表示している組合員に対しては、それぞれの上司が会社応接室に呼び出したり家庭訪問するなどして個々に説得する一方、組合の要求には応じられないとして、今回の人事異動を計画どおり実施するとの態度を変えなかった。そのため右団交においても両者の歩み寄りは全く見られなかった。
2 本件配転命令と不当労働行為救済の申立
被告は昭和五七年五月一日本件配転命令を発し、組合(支部)は同月四日地労委に対し不当労働行為救済の申立及び実効確保措置の申立てをした(この事実は当事者間に争いがない。)。同月七日の団交において、ナトコ労組は本件配転辞令による赴任期限を延期して本件配転問題を労使間の話合いにより解決するよう求めたが、被告はこれまでの団交の経過からして地労委での解決に委ねるよりほかはないとして、以後この問題について団交には応じない態度をとった。
3 昭和五七年春季人事異動の特徴並びに原告らの被むる不利益
(一) 同季の人事異動対象者は別紙昭和五七年春季人事異動対象者一覧表の記載から明らかなとおり総数三二名であるが、新たに配属となった者六名及び組合員資格の関係で非組合員と思われる者五名を除くと、異動対象者二一名中ナトコ労組員は一二名であるところ、右一二名中原告渡辺、同細江、同佐藤、同恒川、訴外井上の五名は前記二の4(二)記載のとおり組合の役員で中心的活動家であるうえ、五六年秋季配転(前回配転)と同様の配転内容である。しかも右五名は本件和解により前回配転が取消しになった者であるのみならず、右五名中原告細江を除く四名は本件和解条項2により配転につき組合との協議対象者とされていたものである。
(二) 原告渡辺、同佐藤、同恒川、訴外井上の配転先はこれまで同原告らが、組合活動の中心的な基盤としていた本社事務所及び三好工場からの遠隔地であり、それぞれの組合活動に困難をきたすのであるが、なかんずく原告恒川は非公然時代から書記長という枢要な地位にあることから、被告との事務折衝や週一回開かれる執行委員会への不参加が組合活動全体に及ぼす影響は決して少なくないし、同佐藤、同渡辺も執行委員として週一回開催される執行委員会への出席をはじめとする組合活動への参画に相当の支障をきたすことは明らかである。また、原告細江の配転先は名古屋営業所であるから、地理的には遠隔でないが、名古屋営業所駐在の車両用塗料のSEはその主な職務内容が全国のユーザーに対する技術指導にあたることにあるため、月の大半は出張していなければならないのが現実で、教宣部副部長としての活動は極めて難しくなる。一方、その配転先の社員の構成をみると、原告渡辺、訴外井上の配転先は営業所長を除くと同人を含めて二名であり、同佐藤は本人の外には部下が一名だけである。
(三) 原告加藤は被告三好工場における準社員としては唯一の組合員であり、組合執行委員として準社員の地位向上の観点から組合が設けた準社員問題調査会に積極的に参加していたものである。従って、交替勤務のある職場への配転により執行委員としての活動にかなりの支障をきたすものである。また、同原告は男子社員急募(資材課)のチラシによって応募したもので、入社面接の際、これに当たった田中資材課長から同原告に対し、被告会社には正社員と準社員があり、給与面で準社員は正社員と差があるが、準社員については転勤、配転はない旨説明があり、同原告から従前勤務していた会社での交替勤務で健康をそこねた経験から夜勤のある職場には就きたくない旨希望を述べたところ、それでは準社員として交替勤務のない資材係が良いであろうというので入社した経緯がある。被告は、田中課長が準社員に配転がない旨説明した趣旨はあくまで工場外配転はないという趣旨であり、事実これまでにも準社員の工場内配転は行われてきた旨主張し、<証拠>中には右主張に副うものがあるけれども、入社面接の際配転を工場内と工場外に明確に区別して説明したかは疑問であるし、また、これまでに準社員について配転のなされた事例をみると、勤務条件が不利益に変更されたものはなく、いずれも被配転者の同意を推定できるものであるなど、本件配転と同列には論じられないものであることが認められるから、被告のこの点の主張はにわかに採用できない。しかるに、今回の配転については、何らの意向聴取もないまま仕事の内容も作業環境も異なり、何としても避けたいと考えていた交替勤務のある樹脂班へ配転の内示を受けたものである。従って、入社の際同原告と被告との間に退職に至るまでの間終始資材係として勤務する旨の労働契約が成立していたかはともかく、本件配転は同原告にとって不利益な異動であり、被告は本件配転について特別の必要性があるか、同原告の同意がない限り本件配転を命ずるのは相当でないというべきであるところ、そのような特別の必要性の認め難いことは後記のとおりである。
(四) 原告大矢は前回配転においては本件和解により六名の配転取消しがなされたこととの関連で配転が取消されたにすぎないものであるが、前記組合員の範囲の問題についての被告の見解からすれば、非組合員であるべき総務課経理係長の職にあったものである。同原告は前記二の7(一)記載のとおり被告の右のような見解に反対のナトコ労組に同調し、前回配転問題の際はその交渉方を組合に委任するなどして、組合員としての立場を鮮明にしていたものである。しかるに、同原告の配転先はいわば被告の子会社であるナトコ商事であり、しかも同原告が就いていた総務課経理係長の職制上の地位とナトコ商事の支配人のそれとを比較すると、明確にこの点について規定したものもないことから、いずれが上位かはにわかに決め難いものの、被告が五六年秋季の配転計画においてナトコ商事の支配人である三田村徳太郎を総務課経理係長に配転しているところからすると、両者はほぼ同等と見て妨げないところ、同原告はかつてその地位にあったナトコ商事の支配人としてではなく、その下位の職員として配転を命ぜられたものであるから、給与等に格差こそないものの一種の降格的処分と受け取られるものであるうえ、同原告が支配人には不適格であるとして被告本社へ呼び戻された経緯に照せば、同原告にとっては到底受け入れ難い職場である。また、原告佐藤も被告の見解からすれば、非組合員であるべき人事労務係長の職にあったものであるから、両原告の配転に関してみるかぎり、被告がこれまでの団交等において、組合と鋭く意見の対立していた組合員の範囲の問題について、被告の見解を配転という形で実現するものにほかならないものであり、原告大矢、同佐藤の後任者がいずれも非組合員であること及び被告が本件配転の主旨等を説明した際に前記地労委の斡旋案を考慮した旨明らかにしていたことを考え併せると、このような結果はもともと本件配転によって被告が意図したことであったと認めることができる。
4 以上の事実が認められるところ、「粕谷忠晴の供述」「梶浦明の供述」中右認定に副わない部分はいずれも措信しない。
5 本件配転と本件和解条項
(一) ところで、原告らは、本件配転は本件和解との関係で、右のとおり和解によって一旦解決した事項を特段の事情がないのに一方的に変更をするものであるから、和解に内在する平和義務に違反する旨主張するのでここで検討しておくこととする。
確かに、原告らのように継続的雇用を前提とする労使関係の下において、配転等の人事に関して労使間に和解が成立した場合は、特段の事情の変更がない限り和解によって出現した現状を互いに尊重すべき義務があることは労使間の和解に内在する性質から当然導かれることであり、このことは被告も争わないところである。しかも本件配転命令は、本件和解によって前回配転を取り消された原告加藤を除くその余の原告ら五名について、本件和解から半年も経過しない間になされたもので、その内容も原告大矢を除いて前回配転と同一であることからすると、本件和解の趣旨を無視するものであるとの非難を加えられてもやむを得ないものである。これに対し、被告は本件和解成立の際地労委の使用者側委員から、本件和解条項2に定める配転手続を踏んで再度同様の配転を命ずることは一向に差し支えない旨説明をうけたので和解に応じた旨主張し、本件和解に被告の代表者的立場で関与した前顕粕谷忠晴はこれに副う供述をするところである。しかしながら、本件和解をするについて地労委委員からの説明や説得、更には被告の思惑があったにせよ、被告は本件和解案を受け入れるに当たっては、右五名の者に対する配転を取り消すことにより、当時被告が予定した人事異動計画に支障を来すであろうことを認識したうえ、前記不当労働行為救済申立事件に関与していた弁護士とも相談し検討を加えた結果、敢えて労使関係の安定円満化を図ることによる利益を選択したものであることが認められる。従って、仮に本件和解をなすについて被告主張のとおりの事情が認められたとしても、そのことが前に認定した本件和解の効力を左右するとか、本件和解条項の趣旨を理解するうえでさほど影響を与えるものとは考えられないから、このような状況下において、組合が被告の本件配転計画に強く反発したことも首肯できるところである。
(二) また、原告らは、本件配転は本件和解条項2に定められた組合との協議を経ていない旨主張し、被告は前記一〇回に及ぶ団交において十分協議を尽くしている旨主張するので、この点についてもここで検討を加えておくこととする。
右協議条項が、原則として従業員の同意がない限り人事異動をすることができないとの制限を付した人事同意約款でないこと、反対に形式的に話合いの過程を踏みさえすれば協議を尽くしたことになる単純な手続規定でもないことは本件和解の文言から明らかであるが、更に前記認定の本件和解に至る経緯に照らすと、このような条項が組合と使用者との間に合意されたのは、被告が使用者の人事権の行使に一定の制約を課す結果になることを容認したうえ、できる限りナトコ労組の組合活動を保障し組合員の権利を尊重する趣旨に出たものと認められる。従って、被告としては、本件配転を命ずるに当たっては被告の業務上の必要性を検討するというだけでは足りないのであって、当該人事異動が組合活動に及ぼす支障等に対しても十分配慮し、組合の意見も考慮するとの立場から組合との間で十分に協議を尽くす必要があるものと解される。そこでこれを本件についてみると、本件配転対象者の大部分が前記のとおり組合の役員等組合の中心的活動家であり、これらの者について本件配転が実施されれば、組合活動のうえで相当の支障が生ずるであろうことは容易に予測されるにもかかわらず、被告は一〇回に及ぶ団交を持ち、本件配転の必要性についての説明はしたものの、前回配転が被告の企図したところから大きく後退した結果に終わったことから、今回の人事異動に関しては計画どおり実施しなければならないとの意向を固めていたためもあって、組合の意見を考慮して今回の配転計画に変更を加えることは一切していないことが認められる。もとより、被告のこうした対応の仕方が本件和解に定められた協議条項の明文ないしその趣旨に反しているか否かは本件配転の必要性の有無、程度にもかかっていることであるから、軽々にこれを断ずることはできないところであり、原告らが終始右和解条項を盾に原告ら全員の配転を白紙撤回せよと強く迫り、これに固執したことから、団交においてもなかなか話合いによる解決の糸口をつかみにくい状況にあったことも窺えるが、それにしても、本件配転は一旦和解により解決した事項を、わずか半年に満たない間にこれを蒸し返すような形で実施しようとしたものであって、原告ら及び組合がこれに強く反発したとしてもこれを非難することができないものであることは前叙のとおりであるから、被告が一〇回に及ぶ団交において労使の意見が全く平行線であったため、話合いによる解決の見込みがないとして本件配転の実施に踏み切ったことが、果たして本件和解に定める協議条項の趣旨を十分尊重したといえるかは疑問といわざるをえない。これに対し、被告は本件配転は前記のとおり地労委委員の説明に従って実施したものであるから、前回配転の蒸し返しなどといった非難をうける謂れはなく、右の程度の話合いで十分協議を尽くしたことになる旨主張するけれども、地労委委員の説明に従ったということが本件配転を直ちに正当化するものでないことは前叙のとおりであるから、本件和解条項に定める協議を尽くしたか否かを判断する際に、本件和解に至る経緯とその後の諸般の事情を考慮することは一向に差し支えないものというべきである。
6 本件配転と不当労働行為意思の存否
前記三及び四1、2、3に認定の本件配転対象者とされた原告らのナトコ労組における地位、役割、実際の活動状況、本件配転によって原告らが当時の職場から離れることによって組合活動に受けるであろう支障、制約、これが同組合に及ぼすであろうと予測される影響並びにこれに加えて前記本件配転に至る経緯において認定したナトコ労組が公然化して以降、同組合と被告との間で行われた折衝の経過、態様等を総合すると、本件配転命令は原告細江、同渡辺、同佐藤、同恒川らの組合活動に重大な支障を生じさせ、また、原告加藤の組合活動にも少なからぬ影響を与え、そのためナトコ労組は相当の混乱と弱体化を免れないものと認められるとともに右原告五名及び原告大矢ら組合員をその組合加入及び組合活動を理由に不利益に取り扱うことになるものと推認することができ、加えて、原告加藤については健康上の理由から回避したいと考えていた交替勤務に就かせることにより、同原告に精神的苦痛を与えるものである。従って、被告において、本件配転を実施するについて、原告ら組合員及び組合に対して右のような不利益や支障が生じるのもやむを得ないと認めるに足りる程度の必要性と合理性が認められない限り、本件配転は不当労働行為との評価を免れないというべきである。また、原告大矢、同佐藤に関しては、同原告らを転出させたあとへ非組合員を配置したことから窺われるように、組合員の範囲をめぐるナトコ労組と被告との主張の対立の中で、これによって一方的に組合の見解を無視することになった点において、同様組合に対する支配介入である疑いが濃厚である。
五本件配転の必要性
本件配転は原告ら及びナトコ労組に対する関係で前記のとおりの評価を免れないものであるところ、これに対し、被告は本件配転は被告の業務上の必要性に基づき、配転対象者の個別的事情も検討したうえ実施したものであるから不当労働行為には該たらない旨主張するので本件配転に至る経緯に沿って以下検討する。
1 昭和五六年春季人事異動の目的と必要性
<証拠>によれば次のとおり認められる。なお、前顕粕谷忠晴の供述と陳述書を一括して「粕谷忠晴の供述」という。
被告の人事異動の目的、方針、昭和五二年頃の実施状況は前記二の1に認定のとおりであるところ、被告は昭和五四年一一月に至り、業界の動向をも勘案し、幹部会において、営業部についていえば、それまで各営業所を営業部が直接統括する形態を採っていたのを自動車補修用塗料、木工建材用塗料、金属用塗料の商品需要別に組織を分離してそれぞれの組織の充実強化を図っていこうとの方針を決定し、とりわけ営業強化の見地から専門的知識を有する営業マンを育成する目的で営業部の中に販売一課と二課を設けたが、実質的な人員の補充増強等は行なわないままに終わった。
その後、被告は昭和五六年二月までの自社の累計売上実績が前年同期比で九三パーセントと低調な事態に立至ったことから、幹部会において同業他社専門メーカー(多品目にわたる各種塗料のうち一定種目の塗料のみを専門的に製造するメーカーをいう。)の業績の伸長ぶりを検討するなかで、未だ十分に実行されていなかった商品別組織の充実、営業部の人員増強の必要性を討議し、昭和五六年春季の人事異動計画実施の決定を見るに至ったことが認められる。もっとも、そのような事情のみが同季の人事異動をこれまでと異なった規模、内容のものにする直接かつ重要な理由であったとは俄かに認め難いところである。蓋し、前顕証拠によっても、そもそも前記二の3に判示のとおり、同季の人事異動の全容が明らかにされていないため、これと原告恒川外組合員五名の配転の必要性との関連性の検討が困難であることに加えて、昭和五六年二月までの累計売上実績が落ちていることは確かであるが、右売上実績の対象とされた昭和五五年の累計売上実績を昭和五四年同期の累計売上実績と比較してみると一三三パーセントと著しい増加を示しているので、前記九三パーセントという数値だけからその時の業績が著しく低調といえるか簡単に判定し難いところがあり、また、<証拠>によれば、比較の対象とした業界全体の売上高累計算出の基礎とされた統計資料は企業規模、商品構成等千差万別の業界全体のそれを単純に合計したものであって、これが示す数値と被告の数値とを対比することによって直ちに被告の業績の低迷といい得るかも微妙なところがあるうえ、被告が売上実績を問題とする際に対象としたのは業界全体のそれであるのに対し、組織作りの方針を決定する際検討の対象としたのは同業他社専門メーカーであって、そのこと自体は企業経営に関する事柄であるから特に異とするに足りないとしても、自社を今後専門メーカーとして位置付けようとの趣旨なのか、具体的にいかなる専門メーカーを想定したのかの点も、粕谷忠晴の供述は必ずしも統一がとれているとはいえないし、需要商品別組織を確立するという方針決定の具体的内容についても、その後の組織作り及び人員補充の状況に照らしてみると、果たしてこの時を境にそれまでと格段に違って確実なものとして固まっていたのか疑問があるからである。
2 五六年秋季配転の目的と必要性
被告は同季の配転を必要とした理由として、同年春季の人事異動が実施されなかったことによる組織作りの中断を挙げ、前顕粕谷忠晴、同梶浦明の各供述中には五六年秋季配転の目的が前記五四年以来の目的である組織作りの実現にあった旨右主張に副うものもあり、営業強化という大枠においてはそのとおり認められるところである。しかしながら、右粕谷忠晴、同梶浦明の各供述によっても、被告は同年春季の人事異動の目的としていた営業部員による商品別担当の方針は相当な人員増を要することもあって放棄したというのであり、しかも同年春季の人事異動の規模、内容等の全貌が明らかにされていないため、五六年秋季配転の内容、規模等が同年春季の人事異動のそれと果たしてどのような関係に立つのかを確知することができない。従って、五六年秋季配転の必要性の判断に当たって、同年春季の人事異動の中断が五六年秋季配転の必要性を一層強くしたとの趣旨の粕谷忠晴の供述は否定的に考えざるを得ないところである。
次に、1掲記の証拠によれば、被告の同年一月から同年八月末までの累計売上実績が業界全体が前年比で一〇三パーセントと好調であるのに対し九九パーセントと低調であったこと、被告は同年一一月から始まる五七年度期の業績の低迷が予測されたことから、①営業部門の強化、そのために営業適性、塗料知識を有する者をこれに充てるとともに、大幅の人員増が必要であること、②第二技術課に開発係を新設して新規、特異性のある製品開発を行うこと、③品質管理グループを技術部より生産部に移管して品質管理を徹底させ生産性を向上させることの三点を目的に五六年秋季配転を計画したことが認められる。しかしながら、<証拠>によれば、被告の売上総利益は必ずしも落ち込んではいないことが認められるのであって、これが著しい業績の低迷といえるかについては五六年春季の人事異動について述べたところと同様の疑問の生ずるところである。もとより、右のような疑問があるからといって同季配転の業務上の必要性が直ちに否定されるというものではなく、一般に人事異動と業務上の必要性を判断するに当たっては、単に売上総利益高などの外部に現われた結果のみによるのではなく、それぞれの企業に内在する問題点なり将来的展望なども十分考慮に入れた経営的観点から判断されなければならないものと解されるのでこの点の検討を要するところである。もっとも、被告は右のとおり営業部門の強化、特異性のある新規製品の開発、生産性の向上のため五六年秋季配転の必要性があった旨主張する一方、同季の配転が本件和解によって撤回されたため、やむなく本件配転において再びこれを実施せざるをえなくなったものである旨主張するので、この点は本件配転の目的と必要性のなかで併せて検討することとする。
3 本件配転の目的と必要性
1掲記の証拠によれば、昭和五六年一一月から昭和五七年二月までの被告の累計売上実績は前年同期比八九パーセントと二年連続して低調であったのに対し、その間の業界全体の平均売上実績が一〇五パーセントと好調であったこと、被告としては引続き低落傾向にあることを危惧し、更に業界における地位の低下も懸念されたため、昭和五七年三月一日の幹部会において、早急に営業部門の人員を増強して営業強化を図るとともに、昭和五四年一一月の職制変更以来の懸案事項でありながら五六年秋季の人事異動において一部実施されないままになっていた専門分野の充実強化のための人事異動を行うこと、併せて在庫管理問題を解決するため出荷業務を外部の専門会社に委託することを決定し、それに伴う人事異動も実施することを決定したこと、従って、被告の企業経営者としての立場から見る限り、被告には本件配転を行うについて業務上の必要性のあったことを一応認めることができる。
しかしながら、<証拠>を併せると、被告は翌昭和五八年には総売上高、売上総利益とも前年より約一億円伸ばし、昭和五九年以降も業績は好調であることが認められる。かように被告の予測は結果的には杞憂に終わったわけであるし、何よりも、一般に配転が個々の従業員の生活に対して種々の不利益を及ぼすものであることに鑑みると、労使関係における信義則上も、被告の立場から見ての業務上の必要性があるからといって、このことから本件配転に関して客観的にも業務上の必要性があったと即断するのは相当でないというべきである。
4 原告大矢外五名の人選の合理性と必要性
そこで、原告ら各人に対する関係で、本件配転の合理性、必要性につき検討することとする。
(一) 原告大矢について
被告はナトコ商事において支配人の補佐が勤まるとともに経理に明るい人材として同原告を選んだ旨主張するけれども、そもそも同原告のナトコ商事への転属と被告が本件配転の最大の眼目とした営業強化のための専門分野の充実強化との関連性は本件全証拠によってもにわかに首肯し難い。ナトコ商事の規模、業務内容及び欠員者の職務内容に照らしても、従来から、ナトコ商事において支配人の外に人事、労務あるいは経理を担当する職員として同原告ほどの豊富な知識、経験を有するものを充てたことはないし、この当時特にそのような者を補充しなければならない状況にもなかったことが窺われるのであって、前記井上の後任として同原告が最適任であった旨の被告の主張は採用できない。
(二) 原告渡辺、同細江について
原告渡辺は昭和四六年三月静岡大学工学部工業化学科を卒業後昭和四七年三月被告に入社して以来、同細江は昭和五〇年三月岐阜大学工学部工業化学科を卒業後被告に入社し翌年の二月から、いずれも技術課技術部員としてその職務に従事してきたものであることは当事者間に争いがない。従って、かような技能、経験を有する同原告らを職種の異なる営業部に配転するというのであれば、これが直ちに契約違反になるか否かはさて措くとしても、そうすることにつき相当高度の必要性がなければならないものと解される。そこで、同原告らの本件配転先であるSEの職務内容及び技術部とSE間の配転状況についてみるに、<証拠>によれば、SEの職務は、業務用塗料を販売する際に顧客に対し技術者の立場からその製品の特徴や用法を説明、指導しあるいはその疑問やクレームなどに応えることにより、顧客の信用を得るとともに、技術者として現場で得た情報を技術に還元することにあること、従ってSEにはこうした技術的知識、経験を有する者が当たることが望ましく、過去においてもそうした者が充てられてきたこと、こうしたSEの現場における日常的活動は売上ノルマはないものの営業部員の現場における活動と同様、営業の強化に貢献するものであり、実際の職務活動としては営業部員と競合する面も多く、従来、営業部員で足りないところは技術部員が出張するなどの方法によって賄ってきたことも少なくないこと、その構成人員も昭和五四年三月頃に合計八名であったのが、被告が営業部門強化の必要性を打ち出した昭和五四年一一月一日には名古屋駐在の三名だけとなり、昭和五五年一一月には七名に回復したものの、昭和六一年五月には四名となるなど、常に一定数の人員を確保しなければ営業上にマイナスを生じさせる恐れがあるといった職務とも考えられないこと、とりわけ高松営業所についてはそれまでSEが置かれたことはなく、本件配転当時格段にその必要性が生じたことを窺わせる事情もないことが認められ、同原告らに対しSEを命ずる旨の本件配転に高度の必要性を認めることは困難であり、他にそのような必要性を認めるに足りる証拠はない。
(三) 原告佐藤について
<証拠>によれば、同原告は主として営業畑に勤務してきたものであるが、昭和五六年春季の人事異動の際は名古屋営業所長への配転の意向打診を受けていたこと、それが同年五月ナトコ労組に加盟したことが被告にも判明した後と推測される昭和五六年秋季配転においては、前叙のとおりの遠隔地で小規模の営業所に配転の内示がなされるに至ったものであること、本件配転がこれまで何度かの転勤によって子供の教育問題などに大きな悩みを抱えていた同原告の生活上に与える影響も決して小さくはないことが認められる。被告は、広島営業所の担当地域である中国地方の販売店網の整備拡大を図る必要があるため、東京営業所長に転出する訴外国立秋夫所長の後任として、ベテラン営業マンで労務管理の経験のある同原告を選任したものである旨主張するけれども、他の地域とは別に、同地域の販売店網の整備拡大を特に必要とする事情があったことを認めるに足りる証拠はないばかりか、いわば栄転の形で東京営業所へ転出となった国立所長の後任として更に販売店網の整備拡大のため、特にベテランの営業マンを充てる必要性があるのか、広島営業所の規模等に照らして労務管理の経験を特に必要とするほどのことがあるのかといった疑問も生じるところであって、前顕梶浦明、同粕谷忠晴の各供述によっても同原告の人選の合理性、配転の必要性を肯定することは困難である。
(四) 原告恒川について
被告は、大阪地区の市場占有率の拡大のため、特に収益率の高い自動車補修用塗料の売上向上が期待されたので、この分野での知識を有する原告恒川を選任したものである旨主張し、<証拠>によれば、同原告は入社以来主として建材用塗料の調色の業務に就いてきていたものであるが、これによって自動車補修用塗料の調色に対応する技能も備えているものと認めて差し支えなく、営業マンとしての対外折衝能力もあることが認められる。従って、被告が同原告を大阪営業所の営業部員に配転することにより、大阪営業所の売上が向上するであろうと期待したことは首肯することができる。しかしながら、このような配転は、前例がないわけでないにしても、製造部から営業部営業部員への配転であるから、同原告の意向も十分に尊重されてしかるべきところ、これが同原告の意に沿わないものであることは明らかであるのみならず、これまで配置されていた営業部員の担当領域とその有する技能、知識の程度についても、又こうした営業部員の構成のもとでの売上状況等も被告によって明らかにされていないこと、更には同原告が前叙のとおり組合公然化以後、書記長として組合の中心となって活動してきたものであることを考慮すると、右のとおり建材用塗料の調色班に勤務してきた同原告を自動車補修用塗料の営業マンとして配転する必要性があるのかについては、これを認めるにはなお疑問が残るといわざるをえない。
(五) 原告加藤について
被告は本件配転は第三製造係樹脂班の欠員補充のためであった旨主張するが、被告の本件配転の目的との関係でこれをみると、<証拠>によれば、本件配転は出荷業務を外部の専門会社に委託することにした結果、業務係発送班の従業員を他の部門に配置換えをする必要が生じ、玉突き人事で同原告を樹脂班に配転することになったものであることが認められる。従って、同原告の配転の必要性は、こうした全体的異動計画のなかで判断されなければならないと解されるが、被告は、当時樹脂班に欠員があったとの理由を挙げるのみであって、同原告の後任者を他の部署に配置する余地のなかったことなど、前叙のとおり敢えて準社員として入社し交替勤務のないことを希望して資材係として勤務してきた同原告を、その意向を無視して交替勤務のある樹脂班に配転するのもやむを得ないと認めるに足りる証拠もないところである。
本件配置転換目録
氏名
旧職
新職
大矢均
総務課経理係係長
ナトコ商事(株)
佐藤英機
総務課人事労務係係長
営業部広島営業所所長
恒川周市
製造部製造課第3製造係
第1調色班
営業部大阪営業所
細江辰也
技術部第1技術課車両グループ
営業部セールスエンジニア
(名古屋営業所駐在)
渡辺真和
技術部第1技術課建材グループ
営業部セールスエンジニア
(高松営業所駐在)
加藤一美
製造部管理課資材班
製造部製造課第3製造係樹脂班
六小括
1 以上のとおり、被告の主張する本件配転の業務上の必要性合理性については十分に首肯することができず、本件配転を実施するについて、原告大矢外五名及びナトコ労組に対し前記認定のような不利益や支障が生じるのもやむをえないと認めることはできない。
そして、これらの点と前記二ないし五で認定した諸事実とをかれこれ総合して判断すれば、本件配転は原告大矢外五名のナトコ労組加入及び同組合での組合活動を嫌悪し、ナトコ労組の弱体化を企図して行った不利益取り扱いであり、また、原告大矢、同佐藤については、第一義的には組合自治の問題である組合員の範囲に関する被告の主張を本件配転によって事実上実現させたもので、これはナトコ労組に対する支配介入というべきものである。とすれば、本件配転は、労組法七条一号、三号の不当労働行為であると結論せざるをえない。
2 右の次第であるから、その余の点について判断するまでもなく、本件配転命令は無効であるというべく、従ってこれに基づきなされた本件一次及び二次解雇も無効であって、原告らはいずれも本件配置転換目録記載の配置転換先において勤務する義務はないところである。
しかるに、被告は原告らの地位を争い、原告らの就労の要求を拒絶していることは前記のとおりであるから、原告らは被告に対し民法五三六条二項に則り従業員として支払いを受けるべき賃金その他の請求権を取得したものというべきである。
3 被告は、原告佐藤は本件解雇の後原職復帰の意思を喪失している旨主張するので判断するに、<証拠>によれば、同原告は昭和五八年三月一七日から自宅近くのマンションを借り受け、兄弟からの借金六五〇万円に自己資金二五〇万円を投じて、「マイカップ」の屋号で喫茶店を開店し、以来妻ともども同店の営業を続けてきており、そのため、組合と被告との団交の場所にも殆ど出席することがなく、被告会社に就労を求めて来たことも数回程度しかないこと、しかし一方、右喫茶店の開業後現在までの営業状況は、毎月の売上高は平均八〇万円前後であるが、経費(このなかには妻に対する専従者給与月額一〇万円程度が含まれている。)を差し引くと年間二〇数万円程度の収入にしかならず、営業成績は不良で将来好転する兆しもないこと、同店の経営が予想外に家庭生活に種々の支障を生じさせていることもあって、同原告は被告が自己の原職復帰を認めるならばいつでも右喫茶店の経営を止め、原職に復帰したいとの強い意向を持っていること、ところで、同原告がこのように喫茶店を始めた動機は、被告から本件配転を命ぜられ、その撤回を求めて交渉したけれども結局本件解雇の意思表示を受けるに至り、更に組合と共にその撤回闘争に入ったが、被告の態度は強硬で容易に解決の見通しも立たず、紛争の長期化が予測されたことから、本件解雇撤回闘争を強力に維持、推進するため、自己の生活を安定させるとともに組合活動も資金的に支えて行こうということにあったことがそれぞれ認められる。これらの事実に照らすと、同原告が本件解雇の後喫茶店を経営していて、原職復帰の要求活動に殆ど姿を見せないからといって同原告が原職復帰の意思を喪失したものとは認められないし、また、右喫茶店営業から得られる利益をいわゆる中間収入として、原告佐藤に対する未払賃金から控除するのも相当でないから、被告の主張は採用できない。
七原告大矢外五名の未払賃金
昭和五七年五月の本件解雇当時の被告における給与、諸手当及び夏季、年末一時金に関する規定あるいは協定の内容、原告らの職制上の地位、年齢、家族構成、毎月の基本給与、諸手当の額、その後逐年、原告主張のとおり被告とナトコ労組との間に、毎年四月ないし七月頃に従業員の賃上げと夏季一時金の協定が、一二月頃に年末一時金の各協定がそれぞれ成立し、原告らを除く全従業員にこれが支払われてきたことは当事者間に争いがない。
被告は家族手当を除く諸手当について、原告らはいずれも支給要件である所定期間の出勤あるいは担当職務就労の事実がないから各手当の請求権はない旨主張するけれども、原告らが現実に出勤しあるいはその職務に就けなかったのは被告の責に帰すべき事由によったものであることは前示のとおりであるから、これを原告らの不利益に取り扱うことは許されず、従って、原告らは勤務すべき日全部につき出勤しあるいは職務に就いていたものとみなすのが相当であるから被告の右主張は採用できない。
被告は各年度の賃上げ額決定の際の原告らの能力評価をABC三段階のうち最低ランクのCとすべき旨、一時金額算定の際の能力賞与査定分についても原告らの能力評価を1ないし5段階のうち最低ランクの5とすべき旨主張するけれども、この点も原告らの右期間中の不出勤を原告らの不利益に取り扱うことが許されないことは前示のとおりであるから採用できない。そして<証拠>によれば、昭和五六年秋季の人事異動問題が発生する前の原告らの考課査定が平均的能力ランクである3以上とされていたことに照らし、原告らの能力ランクをB及び3とするのが相当である。
そこで、前記争いのない原告らの毎月の給与、諸手当額、一時金に関する規定及び協定に基づき、原告らの能力評価を右認定の3及びBとして、これにより昭和五七年五月の賃金及び翌年四月以降昭和六二年四月までの年度毎の改定賃金額並びに夏季及び年末一時金の額を計算すると、いずれも原告主張のとおりの金額となる。そこでこれら未払賃金並びに一時金を合計し合計額から賃金として支払われたものであることを原告らにおいて自認する金額を差し引くと、原告大矢外五名につきそれぞれ別紙未払賃金一覧表(一)ないし(六)、同一時金一覧表(一)ないし(六)のとおりとなるから、これを基礎に計算された請求の趣旨記載のとおりの未払賃金並びに一時金の請求権のあることが認められる。
八結論
以上の次第で原告らの本訴請求はいずれも理由があるから認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官宮本増 裁判官根本渉 裁判官福田晧一は転補につき署名捺印することができない。裁判長裁判官宮本増)
昭和56年秋季人事異動対象者一覧表
氏名
旧職
新職
大矢均
総務課経理係係長
総務課人事労務係係長
三田村徳太郎
ナトコ商事(株)支配人
総務課経理係係長
千賀正介
営業部東京営業所所長
営業部名古屋営業所所長
国立秋夫
営業部広島営業所所長
営業部東京営業所所長
佐藤英機
総務課人事労務係係長
営業部広島営業所所長
恒川周市
製造部製造課第三製造係第1調色班
営業部大阪営業所
井上義輝
ナトコ商事(株)
営業部新潟営業所
細江辰也
技術部第1技術課車両グループ
〃 セールスエンジニア(名古屋営業所駐在)
渡辺真和
技術部第1技術課建材グループ
〃 セールスエンジニア(高松営業所駐在)
三品秀和
製造部管理課資材係
製造部管理課業務係
吉村史朗
製造部管理課業務係
製造部管理課資材係
古河宣吉
製造部製造課第1製造係充填班
製造部管理課業務係発送班
中沢英一
製造部製造課第1製造係仕込班
製造部製造課第2製造係
野々垣龍彦
製造部製造課第1製造係充填班
製造部製造課第2製造係
横田秀実
技術部第2技術課品質管理グループ係長
製造部製造課品質管理係係長
関谷吉
技術部第2技術課品質管理グループ
製造部製造課品質管理係
長江徳和
技術部第2技術課品質管理グループ
製造部製造課品質管理係
大河内隆
技術部第2技術課品質管理グループ
製造部製造課品質管理係
鶴田和男
技術部第1技術課車両グループ
技術部第1技術課車両グループ係長
松山正之
技術部第1技術課金属第1グループ
技術部第1技術課車両グループ
本田尚吾
実習生
技術部第1技術課車両グループ
山門祥彦
実習生
技術部第1技術課車両グループ
西沢義人
技術部第1技術課金属第1グループ係長
技術部第1技術課金属グループ係長
坪井信吉
技術部第1技術課金属第1グループ
技術部第1技術課金属グループ
内川増光
技術部第1技術課金属第1グループ
技術部第1技術課金属グループ
三宅敏勝
技術部第1技術課金属第1グループ
技術部第1技術課金属グループ
小島仲夫
技術部第1技術課金属第2グループ
技術部第1技術課金属グループ
山北達也
実習生
技術部第1技術課建材グループ
平野孝行
技術部第1技術課車両グループ係長
技術部第2技術課課長
畑宏則
技術部第1技術課金属第2グループ係長
技術部第2技術課開発グループ係長
川上進
技術部第1技術課車両グループ
技術部第2技術課開発グループ
宮原貞夫
技術部第2技術課解析グループ
製造部製造課第3製造係第2調色班
鍛治田光洋
製造部製造課第3製造係第2調色班
製造部製造課第3製造係第1調色班
福井佳春
製造部製造課第3製造係樹脂班
製造部製造課第3製造係第2調色班
昭和57年春季人事異動対象者一覧表
氏名
旧職
新職
山崎章雄
総務課長兼営業部付
営業部次長
千賀正介
営業部東京営業所所長
営業部名古屋営業所所長
国立秋夫
営業部広島営業所所長
営業部東京営業所所長
佐藤英機
総務課人事労務係係長
営業部広島営業所所長
恒川周市
製造部製造課第3製造係第1調色班
営業部大阪営業所
細江辰也
技術部第1技術課車両グループ
〃 セールスエンジニア(名古屋営業所駐在)
渡辺真和
技術部第1技術課建材グループ
〃 セールスエンジニア(高松営業所駐在)
関谷吉
技術部第2技術課品質管理グループ
製造部管理課資材係
北村宣夫
製造部管理課発送班
製造部管理課資材係
浜本知枝美
総務課経理係
製造部管理課業務係
加藤喜三男
製造部製造課第3製造係シンナー班
製造部製造課第1製造係仕込班
村上辰房
製造部管理課出荷班
製造部製造課第1製造係充填班
田中宏
製造部管理課出荷班
製造部製造課第2製造係
中島文弘
製造部製造課第1製造係仕込班
製造部製造課第2製造係
武辺隆信
製造部管理課発送班
製造部製造課第3製造係樹脂班
加藤一美
製造部管理課資材班
製造部製造課第3製造係樹脂班
古河宣吉
製造部管理課発送班
総務課人事労務係
水野康博
製造部製造課第3製造係樹脂班
総務部人事労務係
三浦一守
営業部東京営業所
営業部東京営業所小山駐在
井上義輝
ナトコ商事(株)
営業部新潟営業所
三田村徳太郎
ナトコ商事(株)
総務課経理係係長
大矢均
総務課経理係係長
ナトコ商事(株)
清水隆
製造部製造課
ナトコ商事(株)
小長谷和隆
営業部東京営業所小山駐在
名古屋ペイント(株)
山田康生
(配属)
製造部製造課第1製造係仕込班
村田竜雄
(配属)
製造部製造課第1製造係仕込班
小出茂
(配属)
製造部製造課第2製造係
田中功介
(配属)
製造部製造課第3製造係第2調色班
坂口俊也
(配属)
製造部製造課第3製造係シンナー班
鈴木勇男
(配属)
製造部製造課品質管理グループ
西川香
(配属)
総務課経理係
漆原陽子
(配属)
営業部名古屋営業所
未払賃金一覧表(一)
年
月
57年
58年
59年
60年
61年
62年
1
金額
支給日
290,400円
28日
303,970円
28日
318,218円
28日
333,200円
28日
351,800円
28日
2
金額
支給日
290,400円
26日
303,970円
28日
318,218円
27日
333,200円
27日
351,800円
27日
3
金額
支給日
290,400円
28日
303,970円
28日
318,218円
28日
333,200円
28日
351,800円
28日
4
金額
支給日
303,970円
28日
318,218円
27日
333,200円
27日
351,800円
28日
368,500円
28日
5
金額
支給日
303,970円
28日
318,218円
28日
333,200円
28日
351,800円
28日
368,500円
28日
6
金額
支給日
303,970円
28日
318,218円
28日
333,200円
28日
351,800円
27日
368,500円
26日
7
金額
支給日
290,400円
28日
303,970円
28日
318,218円
27日
333,200円
26日
351,800円
28日
368,500円
28日
8
金額
支給日
290,400円
28日
303,970円
26日
318,218円
28日
333,200円
28日
351,800円
28日
368,500円
28日
9
金額
支給日
290,400円
28日
303,970円
28日
318,218円
28日
333,200円
28日
351,800円
27日
368,500円
28日
10
金額
支給日
290,400円
28日
303,970円
28日
318,218円
27日
333,200円
28日
351,800円
28日
368,500円
28日
11
金額
支給日
290,400円
27日
303,970円
28日
318,218円
28日
333,200円
28日
351,800円
28日
368,500円
28日
12
金額
支給日
290,400円
25日
303,970円
26日
318,218円
27日
333,200円
28日
351,800円
27日
計 21,247,856円
未払賃金一覧表(二)
年
月
57年
58年
59年
60年
61年
62年
1
金額
支給日
216,850円
28日
227,092円
28日
237,846円
28日
249,100円
28日
263,400円
28日
2
金額
支給日
216,850円
26日
227,092円
28日
237,846円
27日
249,100円
27日
263,400円
27日
3
金額
支給日
216,850円
28日
227,092円
28日
237,846円
28日
249,100円
28日
263,400円
28日
4
金額
支給日
227,092円
28日
237,846円
27日
249,100円
27日
263,400円
28日
276,200円
28日
5
金額
支給日
227,092円
28日
237,846円
28日
249,100円
28日
263,400円
28日
276,200円
28日
6
金額
支給日
227,092円
28日
237,846円
28日
249,100円
28日
263,400円
27日
276,200円
26日
7
金額
支給日
216,850円
28日
227,092円
28日
237,846円
27日
249,100円
26日
263,400円
28日
276,200円
28日
8
金額
支給日
216,850円
28日
227,092円
26日
237,846円
28日
249,100円
28日
263,400円
28日
276,200円
28日
9
金額
支給日
216,850円
28日
227,092円
28日
237,846円
28日
249,100円
28日
263,400円
27日
276,200円
28日
10
金額
支給日
216,850円
28日
227,092円
28日
237,846円
27日
249,100円
28日
263,400円
28日
276,200円
28日
11
金額
支給日
216,850円
27日
227,092円
28日
237,846円
28日
249,100円
28日
263,400円
28日
276,200円
28日
12
金額
支給日
216,850円
25日
227,092円
26日
237,846円
27日
249,100円
28日
263,400円
27日
計 15,890,506円
未払賃金一覧表(三)
年
月
57年
58年
59年
60年
61年
62年
1
金額
支給日
182,850円
28日
191,492円
28日
200,566円
28日
210,100円
28日
222,300円
28日
2
金額
支給日
182,850円
26日
191,492円
28日
200,566円
27日
210,100円
27日
222,300円
27日
3
金額
支給日
182,850円
28日
191,492円
28日
200,566円
28日
210,100円
28日
222,300円
28日
4
金額
支給日
191,492円
28日
200,566円
27日
210,100円
27日
222,300円
28日
233,300円
28日
5
金額
支給日
191,492円
28日
200,566円
28日
210,100円
28日
222,300円
28日
233,300円
28日
6
金額
支給日
88,478円
28日
191,492円
28日
200,566円
28日
210,100円
28日
222,300円
27日
233,300円
26日
7
金額
支給日
182,850円
28日
191,492円
28日
200,566円
27日
210,100円
26日
222,300円
28日
233,300円
28日
8
金額
支給日
182,850円
28日
191,492円
26日
200,566円
28日
210,100円
28日
222,300円
28日
233,300円
28日
9
金額
支給日
182,850円
28日
191,492円
28日
200,566円
28日
210,100円
28日
222,300円
27日
233,300円
28日
10
金額
支給日
182,850円
28日
191,492円
28日
200,566円
27日
210,100円
28日
222,300円
28日
233,300円
28日
11
金額
支給日
182,850円
27日
191,492円
28日
200,566円
28日
210,100円
28日
222,300円
28日
233,300円
28日
12
金額
支給日
182,850円
25日
191,492円
26日
200,566円
27日
210,100円
28日
222,300円
27日
計 13,494,024円
未払賃金一覧表(四)
年
月
57年
58年
59年
60年
61年
62年
1
金額
支給日
283,850円
28日
297,142円
28日
311,099円
28日
325,800円
28日
344,100円
28日
2
金額
支給日
283,850円
26日
297,142円
28日
311,099円
27日
325,800円
27日
344,100円
27日
3
金額
支給日
283,850円
28日
297,142円
28日
311,099円
28日
325,800円
28日
344,100円
28日
4
金額
支給日
297,142円
28日
311,099円
27日
325,800円
27日
344,100円
28日
360,500円
28日
5
金額
支給日
297,142円
28日
311,099円
28日
325,800円
28日
344,100円
28日
360,500円
28日
6
金額
支給日
297,142円
28日
311,099円
28日
325,800円
28日
344,100円
27日
360,500円
26日
7
金額
支給日
283,850円
28日
297,142円
28日
311,099円
27日
325,800円
26日
344,100円
28日
360,500円
28日
8
金額
支給日
283,850円
28日
297,142円
26日
311,099円
28日
325,800円
28日
344,100円
28日
360,500円
28日
9
金額
支給日
283,850円
28日
297,142円
28日
311,099円
28日
325,800円
28日
344,100円
27日
360,500円
28日
10
金額
支給日
283,850円
28日
297,142円
28日
311,099円
27日
325,800円
28日
344,100円
28日
360,500円
28日
11
金額
支給日
283,850円
27日
297,142円
28日
311,099円
28日
325,800円
28日
344,100円
28日
360,500円
28日
12
金額
支給日
283,850円
25日
297,142円
26日
311,099円
27日
325,800円
28日
344,100円
27日
計 20,776,342円
未払賃金一覧表(五)
年
月
57年
58年
59年
60年
61年
62年
1
金額
支給日
160,350円
28日
168,217円
28日
176,477円
28日
185,200円
28日
195,400円
28日
2
金額
支給日
160,350円
26日
168,217円
28日
176,477円
27日
185,200円
27日
195,400円
27日
3
金額
支給日
160,350円
28日
168,217円
28日
176,477円
28日
185,200円
28日
195,400円
28日
4
金額
支給日
168,217円
28日
176,477円
27日
185,200円
27日
195,400円
28日
204,500円
28日
5
金額
支給日
168,217円
28日
176,477円
28日
185,200円
28日
195,400円
28日
204,500円
28日
6
金額
支給日
168,217円
28日
176,477円
28日
185,200円
28日
195,400円
27日
204,500円
26日
7
金額
支給日
160,350円
28日
168,217円
28日
176,477円
27日
185,200円
26日
195,400円
28日
204,500円
28日
8
金額
支給日
160,350円
28日
168,217円
26日
176,477円
28日
185,200円
28日
195,400円
28日
204,500円
28日
9
金額
支給日
160,350円
28日
168,217円
28日
176,477円
28日
185,200円
28日
195,400円
27日
204,500円
28日
10
金額
支給日
160,350円
28日
168,217円
28日
176,477円
27日
185,200円
28日
195,400円
28日
204,500円
28日
11
金額
支給日
160,350円
27日
168,217円
28日
176,477円
28日
185,200円
28日
195,400円
28日
204,500円
28日
12
金額
支給日
160,350円
25日
168,217円
26日
176,477円
27日
185,200円
28日
195,400円
27日
計 11,782,678円
未払賃金一覧表(六)
年
月
57年
58年
59年
60年
61年
62年
1
金額
支給日
165,500円
28日
173,725円
28日
182,361円
28日
191,400円
28日
202,100円
28日
2
金額
支給日
165,500円
26日
173,725円
28日
182,361円
27日
191,400円
27日
202,100円
27日
3
金額
支給日
165,500円
28日
173,725円
28日
182,361円
28日
191,400円
28日
202,100円
28日
4
金額
支給日
173,725円
28日
182,361円
27日
191,400円
27日
202,100円
28日
211,600円
28日
5
金額
支給日
173,725円
28日
182,361円
28日
191,400円
28日
202,100円
28日
211,600円
28日
6
金額
支給日
76,532円
28日
173,725円
28日
182,361円
28日
191,400円
28日
202,100円
27日
211,600円
26日
7
金額
支給日
165,500円
28日
173,725円
28日
182,361円
27日
191,400円
26日
202,100円
28日
211,600円
28日
8
金額
支給日
165,500円
28日
173,725円
26日
182,361円
28日
191,400円
28日
202,100円
28日
211,600円
28日
9
金額
支給日
165,500円
28日
173,725円
28日
182,361円
28日
191,400円
28日
202,100円
27日
211,600円
28日
10
金額
支給日
165,500円
28日
173,725円
28日
182,361円
27日
191,400円
28日
202,100円
28日
211,600円
28日
11
金額
支給日
165,500円
27日
173,725円
28日
182,361円
28日
191,400円
28日
202,100円
28日
211,600円
28日
12
金額
支給日
165,500円
25日
173,725円
26日
182,361円
27日
191,400円
28日
202,100円
27日
計 12,253,864円
未払一時金一覧表(一)
年
各季
57年
58年
59年
60年
61年
62年
夏季
金額
支給日
615,094円
7月12日
821,959円
7月1日
859,146円
6月30日
893,700円
6月29日
936,400円
7月4日
1,013,500円
7月3日
年末
金額
支給日
920,776円
12月11日
958,170円
12月9日
977,338円
12月7日
970,100円
12月6日
1,037,200円
12月12日
1,131,300円
12月4日
計 11,134,687円
未払一時金一覧表(二)
年
各季
57年
58年
59年
60年
61年
62年
夏季
金額
支給日
496,133円
7月12日
507,186円
7月1日
535,255円
6月30日
561,200円
6月29日
593,400円
7月4日
651,600円
7月3日
年末
金額
支給日
581,774円
12月11日
610,000円
12月9日
624,464円
12月7日
618,800円
12月6日
669,600円
12月12日
740,500円
12月4日
計 7,189,912円
未払一時金一覧表(三)
年
各季
57年
58年
59年
60年
61年
62年
夏季
金額
支給日
423,655円
7月12日
427,958円
7月1日
451,641円
6月30日
473,400円
6月29日
500,800円
7月4日
549,900円
7月 日
年末
金額
支給日
490,894円
12月11日
514,711円
12月9日
526,915円
12月7日
522,300円
12月6日
565,000円
12月12日
625,000円
12月4日
計 6,072,174円
未払一時金一覧表(四)
年
各季
57年
58年
59年
60年
61年
62年
夏季
金額
支給日
740,992円
7月12日
808,216円
7月1日
844,644円
6月30日
878,600円
6月29日
920,500円
7月4日
996,100円
7月3日
年末
金額
支給日
905,014円
12月11日
941,646円
12月9日
960,419円
12月7日
953,400円
12月6日
1,019,300円
12月12日
1,111,600円
12月4日
計 11,080,431円
未払一時金一覧表(五)
年
各季
57年
58年
59年
60年
61年
62年
夏季
金額
支給日
349,461円
7月12日
389,581円
7月1日
411,140円
6月30日
431,300円
6月29日
456,000円
7月4日
500,700円
7月3日
年末
金額
支給日
446,874円
12月11日
468,555円
12月9日
479,664円
12月7日
475,500円
12月6日
514,500円
12月12日
569,000円
12月4日
計 5,492,275円
未払一時金一覧表(六)
年
各季
57年
58年
59年
60年
61年
62年
夏季
金額
支給日
315,840円
7月12日
326,104円
7月1日
344,585円
6月30日
405,600円
6月29日
428,300円
7月4日
471,100円
7月3日
年末
金額
支給日
378,350円
12月11日
395,712円
12月9日
451,408円
12月7日
447,400円
12月6日
484,000円
12月12日
535,300円
12月4日
計 4,983,699円
別紙和解書
和解条項
1 昭和五六年一一月九日付配転につき、委員長平野孝行、書記長恒川周市、高松営業所への渡辺真和、新潟営業所へ井上義輝、広島営業所への佐藤英機及び名古屋営業所のセールスエンジニアグループへの細江辰也、以上の六名については配転命令を取消す。
他の配転者は配転命令どおり応じる。
2 今後の配転については、
① 東海三県を除く転居を伴なう地方配転については組合と協議する。
② 組合三役(現行の四名)の配転については組合と協議する。
③ 配転の方針、大綱、規模等概要を三週間前までに組合に明らかにする。
3 申立人は本協定成立と同時に本件を取下げる。